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眞子さまのご結婚

このことについては、一度は書いておかなくてはならないとず~っと思ってきた。僕は皇室について特別な思いを持っている人間ではない。皇統というものが2000年以上続いてきたというのが事実かどうかは非常に怪しい。しかし日本国憲法で国民統合の象徴となっている天皇には一定の敬意を抱いている国民の一人だ。とくに平成の明仁天皇、つまり上皇陛下の平和への深い思いには感動すら覚えることがある。眞子さまは、その上皇陛下のお孫さんだ。

さて今さら言うまでもないが、この26日に結婚される眞子さまと小室圭さんに関しては、この3年間、主に週刊誌などで小室さんの母親の金銭問題などについて執拗な、そして悪意に満ちたとしか言いようのない報道がされてきた。そのせいかどうかは知らないが、ネット上では驚くべき誹謗中傷の声が満ち溢れた。そうした書き込みを目にするたびに、僕は嫌悪感を感じた。「一体どうなってんだ、この国は」という感じの嫌悪感だ。

罵詈雑言の類をきれいな言葉で言うと、「小室圭さんは眞子さまの結婚相手としてふさわしくない」。それと根っこは同じだが、「国民の税金で成り立っている皇室の一員である眞子さまには勝手に結婚相手を選ぶ権利はない」ということだろう。

僕はこの類の主張に嫌悪感どころか怒りすら覚える。書くのも馬鹿らしいくらいだが、皇室の人間であろうがなかろうが、誰が誰の相手としてふさわしいかどうかは本人たちが決めることだ。常識的に考えれば、せいぜいその親が結婚に対して何らかの介入を行うのは許容されると思う。その場合でも、最後に決めるのは本人たちであることは言うまでもない。憲法にも、ちゃんとそう書いてある。皇室の人間は人間ではないというなら、話はまた別だが。

お二人の結婚について、人々が(あえて国民とは言わない)それぞれに意見をもったり、それについて法的に、あるいは社会通念上許容される範囲で意見を表明するのは何ら問題はない。ただ、その場合でも人格攻撃や人権無視の意見はやはり社会通念に照らして許容できないと僕は思っている。かなりの書き込みはアウトだ。

最も僕がいやらしい意見だと思うのは「我々の税金で云々」という意見だ。「皇室の人たちは我々国民の税金で養ってるんだから国民の意見に従え」などと本気で考えているのだとしたら、そいつの頭はすっからかんだ。税金で“養われている”のは皇室の人間や政治家や公務員だけではない。生活保護を受けている人たちだけではない。税金は国民生活のほとんどあらゆるところに使われている。

ちょっと考えればわかることだ。道路工事だって税金だ。そこで働く労働者の賃金は税金から回り回ってきている。そしたら、その労働者が結婚するときに「納税者である我々の意見を聞け」と言うのだろうか?それはあまりに極端な例だとしても、たとえば政治家が結婚相手を選ぶときに「その相手はアンタの相手にふさわしくない。アンタは俺たちの税金で食べてるんだからちょっとは俺たちの言うことを聞けよ」となるのか?結婚とは100%プライベートな事柄だ。皇室の人間にも人権はある。プライベートはある。「皇族に人権はない」などと平気で言う人は、人権とは何かをちゃんと勉強してからモノを言いなさい、と言いたいね。まったくもう。

とにかく、「眞子さまは国民の税金で生きてきたのだから、その結婚についても勝手にはさせないぞ」などと本気で思っている人がいたとして、僕は言いたい。「お前の払っている税金のうちの一体何円が、眞子さまの生活のために回って行ったんだい?」と。計算するのも馬鹿らしい。年間1円にも満たないことは明らか。仮に、もし仮に1円が眞子さまに回っているのだとして、僕は言いたい。「1円出して、何を偉そうなことを言ってんだい」と。それともうひとつ、そういうアホなやつは、まるで自分が国民の代表だというようなものの言い方を平気でする。「お前の意見はそれでいいよ。どんな意見でもいいよ。でもそれはお前の意見だ。他の人の意見も全部一緒だと思うなよな、アホ」と言いたいね。

ここまで読んでくれた人は、今日のエントリーがわざと荒れた言語表現を使っていることに気づいているよね?そう、眞子さまと小室圭さんの結婚に関しての週刊誌の売らんがための記事の連発や、大した税金も払ってない癖に、国民の意見を代弁しているかのような面をする厚顔無恥な物言いには、僕は反吐が出るくらいに嫌悪感を覚えているからだ。

26日の婚姻の届け出が終わり、そのあとのホテルでの記者会見がお二人の門出を飾るにふさわしい清々しいものであってほしいと、僕は心の底から願っている。彼らは僕たちの“清き一票”(えらく古い言葉)で選ばれた政治家のような人たちではない。皇室を離れる眞子さまと、一般人である小室圭さんのお二人の結婚を、月並みな言葉だが、温かく見守ってあげようではないか。今の日本に必要なのは、そういう寛容さと愛だと、僕は思う。

(10月16日、11時40分)

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山本太郎に同調する

自民党のお祭り騒ぎに続いて、今度は日本全国のおよそ半分くらいの国民しか関心を持たない総選挙が始まるそうだ。そう、だいたい半分だ。それ以外の半分は選挙どころではない。政治に関心がないというよりも、自分には無縁な事だと思い込んでいるから投票しない(同じことか)。行ったから何かいいことがあるわけではないし、という感じだろうか・・・タイの場合は投票に行くとお金がもらえるので、ほとんどの人が行く。それもどうかと思うけど・・・

チェンマイに住んでいる日本人の中で、僕と何らかの付き合いのある日本人の数は少ないが、そのごく少ない知り合いのうちの3人もの人が、日本にいた頃はいつも選挙に関わっていたのだそうだ。3人とも自民党の陣営で選挙運動を手伝っていたという。お祭り騒ぎが好きな人なのかもしれない。僕は衆議院議員選挙に7回出馬して6回当選した保守政治家の孫だが、どの政党であれ一切選挙運動にかかわったことがない。ただし血が騒ぐというのだろうか、小学3年くらいのころから国政選挙になるとテレビにくぎ付けになり、深夜まで開票速報を見ていた。5年生くらいの頃になると翌日の新聞にも丹念に目を通した。中学生になると、全国のどこの選挙区でどこの党の誰が当選したかをほとんど諳んじるくらい“選挙通(つう)”の子供になっていた。

最近はyoutubeを使って発言する政治家も増えてきたので、ときどき与野党を問わず政治家の声を聴くことがある。前から演説を聞いて感心していた政治家の一人が山本太郎だ。あんな小さい政党で、スタッフの数も少ないのに、ほとんど年がら年中、全国を駆け巡って演説を繰り返している。内容はいつも大体同じ。消費税を廃止しろ(当面は5%に下げろ)というのと、国が十分な財政出動をして(ばらまきとも言うが)国民の生活を底上げしろということ。自国通貨を持つ国がお金を刷ってばらまいても、インフレ率が2%を超えるようなハイパーインフレを引き起こさない限り、日本が財政破綻することはあり得ない。財務省もそれを認めてきた。彼はいつもそう主張している。

自民党の政策は大企業や一部の金持ちをますます太らせるだけで、底辺の国民はますます困窮していく。その結果、この25年の間に日本は先進国の中で唯一国民の所得が増えていない。このコロナ禍で、アメリカやイギリス、カナダなどの先進国は軒並み自殺者が減っているのに、日本だけが自ら命を絶つ人の数が増えている。にもかかわらず一部の国民は庶民に冷たい政治をしてきた自民党に投票する。果たしてそれでいいのか。眠っている50%の国民が立ちあがれば日本の政治は大きく変わる。主権者である一人一人の国民のための政治を取り戻そう・・・山本太郎はいつもそう叫んでいる。

全く賛成だ。ついでに原発ゼロを主張していることにも大賛成だ。2011年の福島の原発事故を見たドイツのメルケル首相はただちに原発ゼロを目指すことを決意した。日本の自民党の多くの政治家はこの10年、何を考えてきたのか。喉元過ぎればで、未だに原発利権にまみれた経済界と経産省の言いなりになっている。もう原発事故は起きないだろうと思っているのだとしたら、とんでもない思い違いだ。いつでもその危険と背中合わせでいるのが日本という国だ。それに気づいていたとしても、本気で詰めて考えようとしない。敵基地への先制攻撃を考えるのだったら、ミサイルではなく原発事故で日本が破滅する最悪の事態を想定して、原発をゼロにすることも考えて当然だ。それは権力を持った政治家にしかできないことだ。すぐに手を打たないと間に合わないのはどっちだ?原発をなくすには相当の時間がかかる。10年、いや20年?だから、今すぐ手を付けないと間に合わないのだ。

話はガラリと変わる。ついこの7月か8月、ヴィーナスと三度目のお泊りデートをしたとき、彼女は「貴男がもし日本の総理大臣になったら、まず何をしますか?」という質問をいきなりぶつけてきたことがある。僕はそのとき、山本太郎のことは全然頭になかったが、「僕が総理大臣なら、まずは今の日本のおかしな税金の仕組みを変えたいね」と答えた。どうして自民党という政党は弱い人、困っている人の味方になれないのだろうか?社会保障費を確保するためだと嘘をついて消費税を導入したのは自民党だ。実際は大企業に対する法人税を下げたり、一般庶民とはかけ離れた所得のある金持ちが有利になるようにしたりして、その穴埋めに消費税が当てられている。そういう“まやかしの税制”を直したいというのは、僕がもし政治家だったら真っ先に考えることだろう。

山本太郎という一人の小さな、しかし類まれな熱を持った政治家が今度の選挙、あるいは来年の参議院選挙の結果によっては、政治の世界から消えていくかもしれない。偏った経済政策によって知らず知らずのうちに社会から置き去りにされた底辺の人たちにもお金を回し、中間層の所得の目減りを食い止め、全体の消費を拡大することによって日本に再び活力を呼び戻したい。新自由主義の呪縛によって勝ち組だ負け組だと言っていた分断の時代は終わりにしたい。そうしないと先進国だったはずの日本がいよいよ負け組国家になってしまう。そうならないために、私利私欲を忘れて奮闘する政治家が日本には必要だ。そういう魂のある人物がまた一人いなくなってしまうとすれば、それは余りにも惜しいし、淋しい。

(10月15日、9時)

言葉はいらない

昨日も午後3時過ぎ、彼女の仕事が終わった頃合いでアパートを訪ねた。いつものように犬3匹が一斉に、われ先にと車に向かって飛び出してきた。動いている車に突進してくるので危ない。すぐに一旦停めて車を降り、犬たちを部屋に押し込んでからまた車に戻って駐車スペースに進入する。

僕が来ると、犬たちはいつもアパートの広い前庭をものすごいスピードで走り回ってその喜びを表現する。チワワは体は小さいがその走りはエネルギッシュで、まるで疾風のようだ。前庭のボロボロのテーブルを囲んで談笑していた彼女の知り合いのキャディーさんたちは、犬たちの駆け回る姿を見て大笑いした。彼女たちの働くゴルフ場は例年と違ってかなり暇だから、大体アパートにいることが多いのだ。

部屋のドアをロックして窓のカーテンを閉め、僕たちは2人だけの濃密な時間を過ごした。その間、犬たちはベッドの下にいて大人しくしていた。3日ぶりの、ちょっと長めのお勤めのあと、二人とも何も纏わずに扇風機の風にあたりながら密着して暫くうたたねした。ふと我に返ると、3匹がまるで申し合わせしたようにベッドのヘリに来て、僕の足を咬む仕草を見せたり、前足でちょっかいをかけてきた。「僕たちのこともかまってよ」と言っていることがすぐに分かった。

夕方になって食事に出かけた。ところがいつも行く近所の店がどこも閉まっていた。彼女が言うには、昨日地域の生鮮市場でコロナの感染者が出たので閉鎖された。市場が開かないと野菜の仕入れができないので店を閉めているところが多いのだという。ちょっと半信半疑だったが、そのせいで店の多くが開かないのかもしれない。

少し困って、久しぶりに少し離れた大衆的な和食店に行った。彼女は天ざるそばとイカ焼き、僕はざるそばとサーモンフライカレーを食べた。2人で合わせて290バーツだった。彼女がスマホを取り出してバーコードを店員さんのスマホにかざして会計を済ませた。また政府の支援で半額補助があるらしい。つまり290バーツ食べると、145バーツが戻ってくる仕組みだ。僕は彼女に200バーツ上げたので、200+145、つまり345バーツが戻ってくる。290バーツ払っても、差し引き55バーツ儲けたことになるはずだ。僕にしても、いつもなら290バーツ払うところが200バーツで済んだので、90バーツ儲けたことになるのかな??

昨日は小さいテーブルで向き合って食べた。ヨリが戻ってほぼ2週間が経った。疲れ切ったように見えていた彼女の顔に元気が戻ってきた。目の下にできていた隈が消えている。ときどき彼女を見ると無性に可愛くて、食事しながら何度かチューの真似をお互いに交わした。傍から見たら、一体なんだコイツら、だろう。

(10月14日、10時30分)

宿縁とか、腐れ縁とか言うのかな

ここのところ毎日キャディーの彼女と会っている。外で食事するときは、これまでと違って彼女は僕の横に座る。だから、どちらからともなく手を握り合う。アパートの部屋にいれば、ベッドに寝転んで30分でも1時間でも抱き合って過ごす。キスしたり服の上からカラダを触り合ったり。どちらからともなく自然にそういう状態になる。まるで若い恋人同士のように。こんなことは彼女との長い付き合いの中で一度もなかった。自分の若い時でも、そういう感じで女と時間を過ごすことは殆どなかった。もうすっかり自分の歳のことは忘れて幸福感に浸っている。

8か月前、同居していては他の女と付き合うのに支障があるので僕は彼女を家から追い出した。理由は他にもいろいろある。家の中のことをちゃんとしない。彼女自身が自分のことを「わがままで怠慢」と自覚していたように、実際そうだった。口では「愛してる」というけど、どうも口先だけのような気がして、「金目当ての偽りの愛」と断定した。僕の方はと言えば、「お勤め目当ての偽りの愛」だったのかもしれない。

ところがどうだろう、せっかくヴィーナスというお似合いと思われる女に出会ったというのに、ちょっとしたキッカケで別れてしまった。別れた本当の理由は自分でよく知っている。ヴィーナスのせいではない。

キャディーとは今度こそ本当のお別れの時・・・という感覚は僕にも彼女にもあった。でもそうではなかった。犬が縁をとりもったというのは一面では真実かもしれないが、本当はそうではない。別居していても、僕に新しい恋人ができても、その女と一緒に旅行しているときでも、僕は彼女のことが気がかりだった。だからヴィーナスの目を盗んで、彼女に一か月分の生活費を送金することを忘れなかった。そうすると「僕はやっぱり彼女のことを捨てられないんだな」と嫌でも自覚することになる。

彼女を捨てられないのではないか、ということを感じていたのはヴィーナスの方かもしれない。思い返せば、ヴィーナスが不機嫌になるときは、犬のことも含めて、キャディーの彼女がらみの話になったときだった。ヴィーナスは、どうしても僕のことが100%は信頼できないと何度も言った。それは家を買ってくれないかもしれないとか、自分が困ったときにちゃんと助けてくれないかもしれないとか、そういうことではなかったと思う。信頼できないのはただ一点だけ。僕がキャディーの彼女を捨てられないのではないか・・・きっとその不安を抱えながら僕と付き合っていたのだと思う。

最近の顛末を日本にいる知り合いにLINEで話したところ、ふた通りの反応があった。ひとつは「キミたちは絵に描いたような腐れ縁だね」と笑うもの。もうひとつは、「ホントに彼女を愛してるんだね」というもの。どちらでもいいけど、宿縁であることは間違いないと思うようになってきた。天国のカタイは笑ってるかな?それとも、ちょっと怒ってるかな??

(10月12日、16時)

「犬と一緒に暮らしましょう」

僕とキャディーの彼女が一緒に暮らし始めたのは4年前の11月だった。はじめは「自分の家を持つのが先です」と、僕のプロポーズを受け入れなかった。「僕よりも家が大事とはどういうことだ」と気分を害し、すぐに心変わりして別の女性をThaiQupidで探した。すぐに見つかった。彼女は慌てた。というより、当時のLINEの記録には夥しい数の悲痛な叫びがいまだに残っている。彼女の気持ちを一言で言うと、「こんなに死ぬほど辛い思いをしたことは、これまでの自分の29年間の人生にはなかった。」

その数か月後に僕たちは同棲を始め、翌年の春には正式に国際結婚した。一緒に暮らし始めるときに彼女が言ったセリフの一つが「犬と一緒に暮らしましょう」だった。

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僕がヴィーナスとの恋にうつつを抜かしている間、彼女は自分の狭いアパートで3匹の犬の世話をした。僕が預けたというよりも、彼女が引き取りたいと言ったのだ。犬を“人質”にして、僕がまた彼女の所に戻ってくるのを待つ作戦かもしれないと思ったけれど、どうやらそうではなく、今度こそ僕とは本当のお別れだと覚悟を決めたから犬を引き取った、というのが真相のようだ。

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ヴィーナスとの旅行から帰ってきて、彼女との生活をやり直そうと決めたキッカケは犬だった。犬たちの何となくもの悲しそうな表情と、苦しみに耐えようとしている彼女の姿がダブって見える写真だった。意図して撮ったものなのか、それとも、犬たちにシャワーを浴びさせ、自分もキッチリお化粧をして、記念のつもりで撮ったのかもしれない。いずれにせよ、あの日写真を送って来なかったら・・・なかったかもしれない。ヴィーナスとの生活に踏み出していた可能性の方が高かったような気がする。たかが犬、されど犬だったのだ。

「犬と一緒に暮らしましょう」・・・彼女が4年前タイ語で言ったのは「リヤン・マー・ドワイカン」、文字通りに言うと「一緒に犬を飼いましょう」となる。丁寧に言えば、「犬を飼って一緒に暮らしましょう」ということだろう。

3匹の犬は今度引っ越しをする家に一緒に連れて行く。彼女の友達の一人が前から子犬を欲しがっているが、結局あげないことにした。犬は、4年半前に亡くなった妻との思い出にいつも登場する大切なキャラクターだが、キャディーの彼女との関係を取り持ったのも、実は犬なのかもしれない。

(10月9日、10時50分)

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三度目の正直か、それとも・・・

二度あることは三度ある・・・?そのどちらが本当だろうか??

実は昨日、キャディーの彼女に中古バイクを買ってやった。今月末に引っ越す家は、彼女の職場までバイクで5~6分のところにある。バイクがなければ、友達に迎えに来させるか、ときどき僕が車で送ってやらなければならないだろう。帰りも迎えに行くとなると面倒くさい。それに、ちょっとした買い物は彼女にやらせたい。今度こそ、普通の主婦としての教育をしないといけない。

もうご存知の通り、彼女は二度までも僕を騙した。55,000バーツの新品のバイクを買ってやった2年半前は、半年後に僕の知らない間に売り飛ばした。去年中古バイクを買ったときは、すぐに親戚が持って行ったまま戻って来やしない。今度のバイクもまた同じ運命をたどる可能性が相当に大きいとみるのが妥当だろう。

でも、彼女の言い方がふるっていた。「私は今度こそ生まれ変わります。新しい人生を生きます。貴男と一緒なら、それができます」・・・俄かに信用できるわけがない。二度あることは三度あるからだ。でも三度目の正直という可能性もある。

昨日のバイクは彼女の知り合いの女性から買った。もうアパートにある。走行距離が56,000キロのホンダ・クリックで、たったの12,000バーツだった。同じレベルの中古バイクに前回は20,000バーツ以上払わされた。何かカラクリがあったのかもしれない。それくらい彼女はお金に関しては信用できない。今も信用はしていない。でも買ってやった。ただし、昨日払ったのは半分の6000バーツだけで、残りは名義変更したあとに払うことにした。彼女の名義にするか、僕の名義にするか迷った。面倒くさいので彼女の名義でいいことにした。そうすると彼女は簡単にバイクを売ることができるのだけど・・・これは罠(笑)。

今日彼女は若いキャディーの親戚が亡くなったので、チェンダオというところにキャディー仲間3人と一緒に朝から出掛けて行った。頼みもしないのに葬式の写真を送ってきた。その留守の間に彼女のアパートに行った。部屋に閉じ込められている犬3匹を解放するために。するとトイレットペーパーが切れていることを発見した。どこを探してもない。トイレットペーパーを買うお金もないくらい困窮しているはずはない。生活費はこれまで毎月欠かさず援助してきたのだから。僕は優しい。わざわざスーパーまで行ってトイレットペーパーとティッシュペーパー、それに犬のために焼き鳥を買ってきて、アパートの部屋の前に置いて帰ってきた。優しさも程がある、と言う気もするけれども、どうしても放っておけないのだ。

実は彼女はつい先日、犬と一緒の写真を9枚送ってきた翌日、僕を唸らせる言葉をLINEに書いてきた。「貴女はどうして僕のことが好きなの?その理由は?」という問いかけに対して・・・

「貴男は私のわがままと怠慢をいつも許してくれました。私は、貴男が他の女の所へ行っても、いつも許しました。それは何故ですか?それは私たちの中に愛があるからではないでしょうか。そして私たちは、そうやって何度も危機を乗り越えて7年以上も一緒に生きてきたのです。時間は私たちに試練を与えましたが、同時に愛を深めてくれたのだと思います」

僕は正直驚いた。タイ語だったけれど、彼女がこんな言葉を紡ぎだせる女だとは夢にも思っていなかった。(例によって僕の翻訳だから、かなり踏み込んでいるのかもしれないが・・・それでも本当に感心させられる言葉だった)

(10月7日、20時)

“大人”の対応

もうすでに1週間近く前の話だ。先週の木曜日に僕はヴィーナスと直接会って話をするつもりでいた。ところが当日になってみると、睡眠不足のせいかヤケに頭が痛い。したくない話をしなければならないわけだから、頭も痛くなって当然と言えば当然だ。「やっぱり会うのはやめようか・・・」と言う気持ちになってきた。

その前日、水曜日のLINEでのやりとりの最後の部分はこうだった。

「じゃあ、明日11時半に迎えに行くからね」

「私はただ貴男に会いたいだけです」

「僕は明日率直に話をするからね」

翌日の話の内容を一寸でも匂わせておく方がいいと考えたわけではなかった。すると早速ヴィーナスは反応した。

「私はずっと貴男に対して誠実でした。貴男も同じでいてほしいわ。私を失望させるようなことをしていないことを願ってるわ」

ふとした弾みで、「率直に話をする」と書いた時点で、ヴィーナスは女の勘でピンときたわけだ。これは何かよくない話向きになるのではないか、と。そして当日の朝、僕は会って直接話をする勇気を失った。もし会って目を合わせれば、とても別れ話を切り出せないかもしれない。それに彼女も短気だから、ちょっと怖かった。頭痛がしたのはそのせいだろう。

そして当日、木曜日のLINEのやりとりの一部を、長くなるが書いておこう。

「おはよう。ゴメン、今日は会えないよ。朝起きたら頭が痛い。それに、もう一つの理由は貴女の失望する顔を見たくない」

「〇〇さん、もう少し別のやり方があるでしょ。私たちは大人です。もし私たちの関係を終わらせたいのなら、大人同士としてやりましょうよ。貴男に何かが起きてるんでしょ!私は貴方の話を何でも聞くことができますよ。でもその前に、私の気持ちを言わせてください」

そう言って、ヴィーナスは長い英文を書いてきた。

「旅行から戻って、私は人生のパートナーとは何なのかを考えました。貴男と一緒にいることは私にとってはとても良いことだということが分かりました。ちょっと短気だからとか、将来が見通せないとか、そんなことよりも、一緒にいることがずっと良いことだと思えてきました。それは本当です。しかし、私がいつも他の人の考えを尊重するのと同じように、貴男の決めたことを尊重します」

「私は貴男がよく心変わりする人だということを知っています。それが貴男の性格だからです。どうぞ聞かせてください。私は聞く耳を持っています。大人の男として私に話してください。私が失望するかどうかは心配しないで、貴男の本当の心を聞かせてください」

僕は一呼吸おいてから、短いセンテンスの英文を、一切の誤解を生まないように慎重に慎重に、一文ずつ区切ってLINEで送っていった。ゆっくりゆっくり、とても気の短い人間とは思えないくらい、ゆっくりと文章を重ねた。嘘は書かなかった。しかしすべてを曝け出すこともしなかった。これが僕にとっての“大人”の対応だった。僕の話はあまりにも長かったので、少しだけ引用しておこう。

「僕たちが将来もうまくやっていけるか、旅の帰り道でずっと考えました。帰ってからも考えました。うまくやっていけるかどうかは、それは誰にも分からないでしょう。しかし僕は決断しなければならなかったのです。なぜなら、10月には今の家を出て、別の場所に移ると決めたからです。それは僕たちのためでした。僕たちの将来の生活のためでした。僕は本当に貴女と一緒に暮らしたかったのです。貴女のすべてがほしかった」

「でも貴女は僕に言ったわけです。『貴男はもう70歳だから、一緒に暮らすには家が持てるかどうかの保証がいる』と。貴女の気持ちは完全に理解できます。それはごく当然の感情でしょう。しかし、楽しいはずの旅の終わりに、貴女はまた家の話をしたのです。お金の話をしたのです。とくに、また外国に出稼ぎに行く話を持ち出したことには失望しました。それは僕たちが関係を深める前と、まったく同じ話だったからです」

「つまり、貴女にとっては僕のことよりもお金の方が大切だ、というふうに思わざるを得ないのです。それは理解はできますが、僕はハッピーに感じません。だから、貴女との将来はきっとハッピーにはならないだろうと考えたわけです。だから、僕は貴女と暮らそうとした家をキャンセルしました」

ヴィーナスは僕のかなり長い話を聞き終わった後、一つ質問した。僕はその質問はスルーした。今から思えば、それにもちゃんと答えて、お互いに未練を残さないようにすればよかったのかもしれない。

「前の(女)・・・に戻るってことですか?」

「引っ越しするはずだった家をキャンセルして、貴女との新しい生活へ踏み込むことにストップをかけたということです」

そのように答えたのだが、その真意を彼女は理解したのか、しなかったのか?いかにも微妙な文章が返ってきた。

「私は一緒に旅行して、ますます貴男のことを知ることができました。どうやったらパートナーとうまくやっていけるかを学びました。話し合いをすることで、どんなことでも解決できると学びました。私の心はハッキリしています。貴男の性格を私は受け入れることができます!貴男の性格の問題は全然大したことではないことが分かりました」

「前に言ったように、私は男の人と暮らしたことがなかったので、あまりにも未熟だったんです。それが分かりました。貴男には貴男なりの理(reason)があります。そして私にも私なりの理があります。そして私たちの共通の理は、お互いにハッピーになることです。私はまだ何も決められなくて、step by stepでしか進めません。だから、貴男の結論は尊重します」

ヴィーナスの心は僕の出した結論に揺れに揺れたのだろうか。数日後には・・・

「貴男が沈黙しているのは、それが最良の答えなのですか?」と書いてきた。無視することもできたが、彼女のこころを弄ぶつもりはなかった。

「木曜日に僕が書いたことをもう一度読み返してみてください。『新しい生活に踏み込むことをストップした』というところを」

するとヴィーナスはやっと分かったと言わんばかりに、

「あー、そうだったんですね。ありがとう。これまで私のためにしてくれた色々なことに感謝します(お辞儀)」

(10月6日、11時20分)

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それから

もしも僕がヴィーナスとの一遍の恋物語を書いてきたのだとしたら、それは昨日で終わっている。その後、僕たちがどうなったのかは、これを読む人の想像に任せるのが僕の流儀だ。でも、これは小説ではなく日記だ。だから、その後のことを書かないわけにはいかない。もちろん、多少の脚色があるとしても・・・


先週の日曜日、9月26日の午後、そう遅くはない時間にヴィーナスをアパートまで送って自分の家に戻った。まずしたことは洗濯だった。5日間旅をするとそれなりに洗濯物が貯まる。それに旅行の前から放置していた衣類も少しあった。多めの洗濯物を干し終えて部屋に戻ってみると、LINEが入っていた。それはヴィーナスからではなかった。写真が9枚届いていた。

父親のレックレック、男の子のチビ、その妹のナムターン。3匹の犬たちを一匹ずつ抱きかかえたキャディーの彼女の写真だった。言葉は一言も添えられていなかった。どうしてこのタイミングで送られてきたのか?それは単なる偶然に過ぎないと思う。でも偶然こそ、突然に人の心を変えてしまう魔力を持っていることがある。

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父親のレックレック

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長男のチビ

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妹のナムターン

写真を何度も眺めた。とくに4枚あったレックレックの写真を飽かずに眺めた。レックレックは4年前に亡くなった妻のカタイが可愛がっていた犬の中の1匹だ。彼女がどういうつもりで犬と自分の写真を送ってきたのか、その理由は今もって分からない。

僕は犬を可愛がっていた。でもそれ以上に、この犬を抱いている女への何とも言えない情が心の奥底にこびりついている。それは打算でも何でもない。相手が自分にとっていい女かどうかとか、近い将来ちゃんと面倒をみてくれる相手かどうかとか、そういう損得勘定を抜きにした訳の分からない感情だ。愛情と言えなくもないけれど、その情のせいでこの女を捨てることがどうやってもできないのだ。困ったものだ。

旅行から帰ってきた翌日、もうすぐ引っ越しをする予定でいた新しい家をキャンセルした。すなわちそれはヴィーナスとの関係をキャンセルすることと同義だった。すでに手付金として1か月分を家主に払っていたが、そんなことはどうでもよく思われた。

旅行から戻った2日後、火曜日になってヴィーナスから「次はいつ会えますか?」というLINEが入ってきた。ヴィーナスは10月に入って新しい仕事に就いた。だから仕事が始まる前にまた会いたいと思っていたことは間違いない。そして少し話し合った結果、(先週の)木曜日に会うことになった。僕としては直接会って話をするのが、せめてもの誠意の表し方だと考えたのだ。もちろん、ヴィーナスは僕の心の中を何一つ知らない。彼女はこれまでと同じように、「じゃあ、明後日はランチとコーヒーにしましょうね」と言ってLINEのやり取りが終わった。

水曜日、今の家は10月いっぱいで立ち退くことになっているので朝から借家を探した。場所はキャディーの彼女の働いているゴルフ場から比較的近いところに絞って探した。そうすると、もう半年以上アパートで一人暮らしをしている彼女とまた同棲することになるのは目に見えている。なぜなら彼女がそれを望んでいることは明らかだからだ。僕自身は、それを望んでいるというよりは、目に見えない不思議な力に引っ張られている図のように感じる。そして思いがけなくいい物件がすぐに見つかった。

果たして、これまでの繰り返しなのだろうか?それとも、今度は次元の違う展開になるのだろうか?自分でも分からない。それに、ヴィーナスとは本当に切れたのだろうか・・・次回は何とも微妙なヴィーナスとの最後のやり取りを書いておこう。

(10月5日、7時)

最後の晩

最終日のパヤオでの夕食は湖畔のレストランでとることにした。ヴィーナスは「プラータプティム・ヌンマナオ」という魚料理を所望した。僕たちの最も好物としている料理だ。異存があるはずはない。ところが、どのレストランに聞いても「タプティム」というタイではポピュラーなはずの魚がない。彼女はまた不機嫌になって沈黙した。

結局のところ、「プラー・タプティム」ではなく「プラー・ニン」という魚ならある、という店で食事した。鼻の利かない僕には分からないが、プラー・ニンという魚には独特の臭みがあるので彼女はちょっと嫌そうにしながら、でもお腹が空いていたのか、完食した。

ホテルに戻って、僕はチェンマイから持って来ていた赤ワインの最後の残りを一緒に飲もうとした。でもヴィーナスは、その前に話があると言って身構えた。彼女は鏡台の椅子に腰かけた。僕はその横のベッドに1メートルちょっとくらいの距離で座った。この日の部屋はいつものようにダブルベッドではなく、はじめてツインベッドの部屋になった。前日に彼女が予約するとき、ダブルの部屋がなかったからだ。ヴィーナスは意を決したように話し始めた。

「私はこれまで男の人と一緒に暮らしたことがない、ということは言いましたよね」

「うん。知ってるよ」

「今回こうやって4泊5日の旅行をして、ずっと貴男と一緒に過ごしてみて、分かったんです。貴男のその短気な性格(タイ語でチャイ・ローン)は、貴男の生来のものだろうって。多分一緒に暮らすと、色々な場面で短気な性格が表に出るのではないか。私はそう思うのです」

「まあ短気と言う点では、お互いに似たようなものだね(笑)」

「貴男が前に言ってましたよね。男と女は一緒に暮らしてみないと分からない部分があるって。その通りでした。貴男の短気な部分はとても怖いです。でも同時に貴男はものすごく優しい人ですから、ハッキリ言って、どうしていいか分かりません」

たとえ二人の性格が気が短いという点で似ていても、お互いに譲り合う努力をすれば、その問題点は克服できると僕は思った。そして僕たち二人は、その寛容さが全くないほど未熟な人間ではないはずだと主張した。

僕の反応を見て、二人の関係を今後も続けたいと思っていることが確認できたのだろう。彼女はさらに一歩踏み込んできた。もちろんこの時点では、僕はヴィーナスと一緒に暮らしたいと思っていたので、彼女の言葉に真摯に耳を傾けた。

「貴男は70歳です。私はもうすぐ40歳です。30歳の年の差は大きいです。この先私が一人になった時のことを考えざるを得ません。貴男と一緒に暮らすとしても、自分の将来のために家が必要です。私が60歳くらいになって仕事もできなくなった時、貴男がいなくなっていたら私はどうすればいいんですか?せめて家がないと生きていけません」

僕は彼女の気持ちを受け止めようとした。以前も話したことがあったが、同じことを繰り返した。つまり、いますぐ家を買うことはできない。なぜなら一定のお金を持っておかないと、僕自身がいざという時に困る。でもヴィーナスが僕の財布を握って、自分で働いたお金も浪費せずに貯めれば、家を買う頭金くらいはすぐにできる。ローンを組めば小さい家なら買えるだろう。もし正式に結婚すれば、将来は年金の一部をもらうこともできる。ローンが残っていれば、それを使って返済できる。でも、ヴィーナスは僕の話に何らかの疑いを抱いていることは、その表情から読み取れた。

「貴男と一緒にならないとすれば、私は外国に働きに出てお金を貯めます。そして何年かしてタイに戻ってきて、自分の家を買います。貴男と暮らすか、外国に行くか・・・そのどちらかです」

今さらそのような話を繰り返すヴィーナスに対して、僕はある種の疑念が湧いてくるのを禁じえなかった。分かりやすく言うと、彼女の言っていることは、「目の前にいる男を利用できるかどうかで迷っている」ということだ。この男が家を買ってくれるかどうかが一番の関心事で、一緒に暮らしながらローンを組んで買うという選択肢には興味がなさそうだ。だから、僕が家を買ってやらないなら外国へ出稼ぎに行くという話になる。そう言えば、ヴィーナスは僕に幾ら貯金があるかを尋ねたことがあった。

外国で働くと言っても、現実問題としてはかなり無理のある話だ。仮にコロナ禍がおさまったとしても、果たして彼女は何処の国で働くというのだろうか?日本か、韓国か、ドバイか、それともヨーロッパか。それぞれの国の事情をどれだけ知っているのだろうか?例えばマッサージの仕事を数年間外国でやれば家が買える?そんな時代はもう終わったのではないのか?それも40歳になる女が考えることではないような気がする。それとも僕の世界認識が間違っているのか・・・

初めて泊ったツインの部屋で、僕とヴィーナスは初めて別々に眠った。そして次の日の朝、彼女が市場で友達へのお土産を買った後、チェンマイへ通じるガラガラに空いている道を走った。山間部に入ると見事な霧に遭遇した。それはそれで幻想的なドライブになった。でも僕たちは、道中ほとんど沈黙した。彼女は僕の運転に一切言葉を発することもなく、僕も前夜の会話について何らかのコメントを付け加えることもなかった。

突然に、不思議なくらい急速に、そして嘘のように、自分のこころがヴィーナスから離れていくのが運転しながら自覚できた。その理由は何だろうか。多分、僕はヴィーナスとの安定した老後の生活を求めていた。彼女は、僕がいなくなった将来の自分の生活の安定を求めた。この二つは、一見するとうまく両立できそうだ。でも接点があるようでいて、案外とこの二つが交叉する面積は小さいのかもしれない。何しろ彼女の目的が自分の家を買うことなのに対して、僕は借家でも何でも一向に困らないからだ。

パヤオとチェンマイの中間あたりにあるチェンライ温泉という所でコーヒーを飲みながら足湯に浸かった。傍から見ると、歳の差はあるが仲睦まじい夫婦か恋人同士に見えただろう。そして実際、横にいるヴィーナスに対して、僕は何の違和感も覚えなかった。適度に温かい温泉の湯に足を浸しながら、ときどき彼女の右手を握ったりした。彼女もいつものように楽しそうに、昨夜の会話が噓のように、旅の最後のひと時を僕に寄り添って過ごした。けれども、昨日までの自分とは違う自分がそこにいることを、僕だけが知っていた。

(10月4日、7時)

助手席からの“雑音”

旅に出て4日目の夕方、僕たちはパヤオ県のパヤオ湖畔に一泊の宿をとった。ナンの民宿を出発して、道中いくつかのお寺やカフェに立ち寄った。着いたのは僕の予想よりも少し早い4時過ぎだった。問題は、その道すがらにあった。

前から気になってはいた。僕が車を運転している最中、左折あるいは右折しようとすると、大体決まって「あっ!バイクが来てますよ!」とか、「あそこに車が停まってますよ!!」とか、彼女は何でも大きな声で僕に注意を与える癖があった。助手席の人間が声に出すのが悪いことだとは思わない。でもあまりに頻繁だと運転しているこっちはイヤになる。僕はもう50年も車を運転している。もちろん目も、今のところはちゃんと見える。以前、見えにくい細い鉄の柱に車の左端をぶつけたことはあったけれど(笑)。でも車やバイクや人や犬を見落とすような運転はしない。道路上にいる鳥や虫ですら、ぶつからないように注意して運転している。

さらに問題なのは、道路に車を一旦停止するときだ。彼女は決まって「ダメダメ、道路に停めてはダメ!!!」と叫び声を発する。道を確かめようとして、左の道路わきに車を停めるのもダメ。右側にある建物の方に入ろうとして、一旦停止して入り口を探してもダメ。片側2車線の広い道路なのに。一体どうすればいいというのか?後ろからも前からも横からも、車もバイクも人も犬も猫も来ていないというのに(笑)。彼女は車の運転をしたこともないくせに、変な指図だけはする。

確かに大都会のバンコクや、チェンマイでも中心部なら、彼女の言い分も理解できる。めったやたらに車を止めるのは危ない。でもナーンやパヤオの田舎の道だ。広い道路の端に一旦停止してはなぜいけないのか。そんな法律もないし、運転マナー違反でもない。彼女の言動を今思い出すだけでも少し腹がたってきた(笑)。運転の仕方を知らないんだったら、黙って横に座ってろ、ということだ。

というわけで、旅行の4日目ともなると、彼女の親切な警告の声がイヤになってきたので注意することにした。

「僕は運転中、前だけでなく、後ろも左右も確かめながら運転している。車のいない田舎の道でも、バックミラーを時々見ながらやっている。車を止める時は、後ろから車やバイクが来ていないか必ず確かめている。当たり前の話だ。これ以上余計な口出しはやめてくれますか?」

彼女は僕の話を聞いて初めて納得した。ただし、パヤオまでの道中は、二人とも殆ど口をきかなくなった。

「そうだったんですか。後ろも確かめていたんですね。もう何も言いません」

パヤオのホテルに着くと、お得意のマッサージを施してくれた。今回の旅行中は殆ど毎日してくれた。「運転お疲れ様」ということらしい。その日は正式のオイルマッサージを1時間くらいしてくれた。半年ほど前、失業中だったヴィーナスは150時間の講習を受けたので、施術士の資格を持っている。十分プロとして通用する腕前だった。

問題は、これまたほとんど無言の夕食を終えてホテルに戻ってからのことだった。

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ホテルのベランダから見たパヤオ湖 

(10月3日、7時)

プロフィール

Niyom

Author:Niyom
2012年、60歳でチェンマイへ移住。2017年にタイ人の妻を病気で亡くした後、愛人だった若いタイ人女性と再婚、前妻が可愛がっていた小さな犬2匹も一緒に暮らしていたが・・・

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