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会話のない関係ってどうなの?

一昨日、自分の心が急激にNから引けていくのを感じた。

「日曜日に行く教会の好みが合わないから、もう週末は会えない」「平日の夜に会って、翌朝早くに仕事場に送ってくれればいい」「近くに引っ越してくるのはダメ」・・・

コーヒーショップを始めたばかりだから、軌道に乗るまで僕のことは二の次になるのは分かる。僕自身、お金を出すだけでなく、もっと彼女に寄り添って励ましてあげればいいなとは思う。でも、車を飛ばしても片道1時間の距離は年寄りには楽ではない。ゆっくりできる週末に迎えに行くのは何でもないが、平日にピストンのように送り迎えするのは気が滅入る。

店を始めたストレスが溜まっているのは理解できる。だから、「店が安定するまで、ちょっと我慢してね」とか、少しでいいから、僕に対する気遣いの様子が見えたら、僕もこんな気持ちにはならなかったと思う。本当に微妙な違いだ。僕も神経の太い人間ではないから、相手の心の中まで見えてしまい、過剰に反応する傾向がある。お互いがそうなら、なかなかうまくいかない。

それでも、もし僕にNしかいなかったら別の展開があると思う。ここは我慢して、そっと彼女の仕事をサポートすることに専念するだろう。車の往復がしんどいとか、そのレベルのことはきっと言わないだろう。もし彼女一人しかいなかったとしたらの話だ。

ところが僕の家の近くにはキャディーの誰かさんが一人で暮らしている。一度は正式に結婚までして、トータルで言うと9年も付き合ってきた女。お互いを知り尽くしている。しかもNよりも若い健康的な女だ。Nと距離ができれば、いつでもヨリを戻せる女が近くにいる環境はどうなのか・・・

誰かさんとは喧嘩別れではなかった。僕がちょっとしたハズミでNという新しい女と出会った。お互いに気に入った。そうなれば、もう誰かさんとの関係を続けるようなことが僕にはできなかった。だから正直に誰かさんに話して退いてもらった。お互いへの愛情が失せていないことを確認しつつも別れた。誰かさんは、すんなりと僕の我儘を通してくれたわけだ。

昨日の昼間、誰かさんと久しぶりに少し遠出した。何度か一緒に行ったこのあるメーリムのホワイトゥンタオという場所で食事した。2時間半ほど一緒にいた。でも会話はほとんど何もなかった。お互いの近況を聞くわけでもなく、将来の話などは元々何もない。ただ黙って食事して、彼女はスマホを見たり自撮りしたりして遊んでいる。湖のほとりにあって、ほとんど人の目には触れない仕切りの中なので、食事の後はお互いに足のマッサージをし合ったり、冷たい水に足だけ浸かったりして二人だけの時間を過ごした。

途中どこかに寄ってからアパートに送って行く途中、誰かさんは「お金がないので、来月分の部屋代をください」と言った。「この前3000バーツあげたじゃんか」「だってあれは私が欲しいと言わないのに(勝手に)くれたんでしょ。そういうお金はすぐに使ってしまいます」・・・なるほど、アパート代をあげたつもりになっていたのは僕だけだったようだ。

それにしても、あ~あ、いつまで経っても金ヅルは金ヅルなんだなあ、これが。でも、そうやって9年間も付き合って来たんだから、今更ほっぽり出すわけにはいかないのだ。病気の時に看病してくれたり、美味しい料理を作ってくれたり、それなりにいいこともあったし。

Nも、しつこく付きまとってくるんだろうな、きっと・・・ま、まだ少しでもお金のあるうちは窮民救済だと思っておこうか。

(3月30日、10時25分)

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不協和音

Nの始めたコーヒーショップは初日こそまずまずの出足だったが、そのあとは苦戦の連続だ。そのせいか、ここ数日は寝不足が続いているらしい。

昨日火曜日の午後、彼女は「今日の夕方こちらに来てください。一緒にご飯が食べたい」と言ってきた。たまたま昨日は暑さのせいか体調が思わしくなく、エアコンをつけたリビングのソファに寝そべっていた。急に来てくれと言われても、往復するだけで2時間近くかかる。それに日曜日の夕方に別れたばかりだ。その気にならなかった。

一旦は「わかりました」と言った彼女だが、きっと不愉快になってきたのだろう。突然「もう土曜日には会えません。なぜなら日曜日には貴男の嫌いな教会へ私一人でも行きたいからです・・・」そう言ってきた。

一寸説明が必要だろう。これまでは、だいたい金曜日か土曜日の夕方にNを僕の家へ連れてきた。夜ここに泊めて、日曜日は朝ゆっくりして、10時にチェンマイ市内の教会へ一緒に行き、夕方彼女を家まで送り届けるというパターンだった。ところが、彼女の気に入っている教会を最近僕はどうも好きになれなくなってきた。

その教会では演奏される音楽がロック調のものが多く、礼拝に来ている人たちは全員起立して手拍子を打つ。手を振り上げている人もいる。そういう感じが僕の感性に合わない。静かにクラシック調の聖歌を歌ったり聞いたりして、自分や家族の救い、世界の平和を神に祈る場所が教会だと僕は思っている。だから、彼女の気に入っている教会へ行くのがだんだんと辛くなってきたのだ。

この前の日曜日は、僕の家の近所の教会へ初めて行った。彼女は気に入らなかったようだ。今度の日曜日はチェンマイ市内にある大きなカトリック教会へ行こうかと思っていた。その機先を制するかのように「日曜日に行きたい教会が私と貴男では異なるので、土曜日にもう会えない」と言ってきたわけだ。

僕は昔はキリスト教信者だった。今は宗教は否定しないが、ハッキリ言って何でもいい。お寺で静かな時間を過ごすのも割合と好きだ。ヨーロッパにあるような、パイプオルガンが響き渡る大聖堂で静かに生の教会音楽を聴ければ、それは心休まる最高の時間だ。ダジャレを連発して笑いを取るような説教ではなく、聖職者が聖書の一節をかみ砕いて説き、心を込めて神に祈る時間が日曜日の礼拝であってほしい。僕はそう思っている。

さて、Nが僕に提案してきたのは、土曜日以外の平日の夜に彼女が僕の家に泊まり、翌朝の7時半までにコーヒーショップに送って行くという案だった。夜一緒に食事して寝て、朝は5時くらいに起きて、6時半までには家を出なければならない。なんとも慌ただしい逢瀬になる。若ければそれでもいいが、朝だと往復2時間はかかる道のりを運転するのはきっと疲れるだろう。

それよりも、僕が彼女の家の近くに引っ越しする方がいいに決まっている。ところが、彼女はそれはダメだというのだ。理由を尋ねると「店の仕事があるから」と。これは理由にもなっていない。近くに僕がいつもいるとなると、何かまずいことでもあるのだろうか?と勘繰りたくもなる。きっと一緒に住むのが嫌なのではないか?時々会うのはいいけど、四六時中一緒にいるのはどうも・・・・きっと、そういう気持ちがあるのではないかと思う。それはお互い様ではあるけれど(笑)。

というわけで、昨日突然僕たちの間に不協和音が鳴り響き始めた。僕が不快感を覚えていることを彼女もすぐに気づいたようで、少し慌てている様子がLINEの言葉の端々に感じ取れる。多分、僕のことは「御しやすい金ズル」くらいに思っているのかもしれない。そう考えると、いろいろと思い当たるフシはある。

こういうことを平気でブログに書くということは、僕もほぼ100%夢から覚めてしまったということだ。「魂が共鳴している」キャディーの誰かさんも、言ってみれば僕の錯覚だけれども、それでも「彼女は楽だなあ」という気がしてくるから、男女の関係は本当に「一寸先は闇だ」と思う今日この頃だ。

これも昨日の話だが、驚いたことがある。41歳になる誰かさんのお姉さん(正確には従姉で、美人)がつい最近バンコクからチェンマイに引っ越してきて、何と何と、チェンマイ市内にコーヒーショップを新規開店したのだそうだ。写真も送ってきた。コーヒーだけではなく、食事もできる店で、安くて豊富なメニューがある。どんな店なのか、一度行って見てみたいと思っている。

(3月29日、9時50分)

お気に入りの朝食

最近は朝ラーメンを食べることが非常に多い。だいたい週に3回は食べている。というのも、近所にお気に入りの店を見つけたからだ。

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暑くなった今でも、朝ウオーキングすることが多い。家から1.5キロほどのところにこのラーメン店がある。見かけは普通の店。おばさん一人でやっている。

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朝は6時半から開いている。だいたい8時ごろ、ウオーキングの途中にここで食べる。

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メニューは豚か牛を選ぶ。麺は米の細麺(センレック)か黄色い普通の麺のどちらかを選ぶ。スープは薄味のクリアスープ。

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見かけはどこにでもあるようなラーメンだが、スープの味が絶妙だ。日本のラーメンのような油気が少ないので、僕はいつも全部飲み干してしまう。しょっぱくないし甘くもない。麺は底に沈んでいて見えないがたっぷり。豚肉は3種類で、これも申し分のない量が入っている。(白菜とモヤシは好きなだけ自分で取って入れる)それでいて1杯35バーツ。130円か140円くらいというから、毎日でも食べたくなる。全然飽きない味なのだ。

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一応、開店時間は午前6時半から午後2時までとなっているが、1時頃に行くと「スープが切れました」ということが多いそうだ。他所よりも10バーツ安くて、美味しさが2倍なら、一度来た人はこの店に必ず来る。人通りの少ない場所にあるが、常連さんがひっきりなしにやってくる。これぞローカルの食べ物商売の王道ではないかと思う。

ちなみに、今朝のNの朝食はこれ。大体いつもこの程度しか食べない。でもわが家に来たときは、朝、美味しいラーメンを食べる。僕と違って牛肉派だけど。

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(3月28日、11時20分)

コーヒーショップ開店

本人も来週の月曜日あたりに開店予定だと言っていたのに、昨日の夜になって、突然、今日開店すると言い出した。準備が整ったのなら、そりゃ早い方がいい。自分が理想とする味には、店を始めてからボチボチと近づいていけばいいことだ。

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タイのガソリンスタンドには「Amazon」など全国展開している大型のコーヒーショップが進出している。たまたまNが出店した場所は同じPTTというガソリンスタンドだが、規模が小さいので大型店舗が入っていなかった。

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狭いスペースに7~8人が座れる席を用意した。でも店内で飲んでいく人はまずいない。お客さんのほぼ全員がコーヒーを受け取ったらすぐに店を出ていく。ここに写っているお客さんも出来上がるのを待っているだけだ。手前に飲みさしのカップが見えるが、これはNの父親や僕が飲んだコーヒーだ。

いきなり開店してもお客さんが来るかどうか見当がつかなかった。一人も来なかったら相当にショックだ。でもそこは彼女も用意周到。ついこの前まで自宅で営業していたときの常連さんに「今日から開店します」と連絡を入れたらしい。すると、ちゃんと来てくれた人が一定数いたらしい。

結局のところ、今日は朝8時に開店して午後4時に閉めるまで20杯しか売れなかった。いや、まだ道路側に看板もないし、GoogleMapにも出ていない。20杯でもよかったと思うべきかもしれない。この数ではとても採算は取れないが、いきなりの開店だったからこんなものだろうか。ただ、僕が1時間半くらい店に居た間に、ガソリンを入れに来た車やバイクの客で、コーヒーを買いに来る人は一人もいなかった。「ついでにちょっとコーヒーでも飲むか・・・」とはいかないものらしい、世の中は。

結局のところ、人の集まる市場の傍にあるガソリンスタンドの中という良いロケーションだが、毎日でも買いに来てくれるような「常連さん」をいかに増やしていくか・・・観光地にあるような店とは全く違うので、そこが勝負の分かれ目になるような気がする。そこら辺のコーヒーショップの普通の味のコーヒーと比べたら全然別物だということは僕でも分かる。コーヒーの味がちょっとでも分かる人ならきっとリピーターになってくれると思う。

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乗り掛かった舟ということで、僕も応援していこうと思う。とりあえず道路側に設置する看板のデザインについて指南しておいたけれど、分かってくれたかな?文字をたくさん入れたら絶対にダメ。店の名前なんか片隅でいいから、とにかく「コーヒー」と言う文字だけが目立つように、そして必ずカップの絵を入れることを念押ししておいたのだが・・・きっとキリスト教徒以外には意味不明の店の名前(聖書に出てくるイザヤという予言者の名前)を入れたんじゃないかな?店の名前を変えろとまでは言わないが・・・

(3月24日、16時50分)

思い通りの味にならない

昨夜はNと食事した。コーヒーショップの電気工事が火曜日に終わって、昨日はマシンの試運転を行ったようだ。マシンに問題はないというが、新しい機械の特性がまだ十分には分からないせいか、「自分の思い描いているコーヒーの味にまだ到達できない」と言って深刻そうな顔をした。

彼女はワイン1本を一人で空けた。話は店のこと、マシンのこと・・・つまりコーヒーのことで頭が一杯なのだ。僕にはさっぱり分からないが、一杯のコーヒーに使う豆の量は8.5グラムがちょうど良かったとか何だとか・・・1日かけていろいろ試したけれど、まだ理想のコーヒーの味には到達しないと言って苦しそうだった。

Nはコーヒー職人なのだ。Nの悩みは職人ならではの悩みだ。僕にも何となく分かるような気がする。全く世界が違うが、僕も若い頃は「モノつくり」の現場にいた。モノと言ってもテレビの番組だから手にとって触れるモノではない。でも自分の思い描いている仕上がりになりそうにない時の苦悩は並大抵ではない。ドキュメンタリー番組だと編集の終盤は完全徹夜がザラ。正解があってないようなものだから悩み出したらキリがない。どうしてもシックリいかない時は自分の無能さに存在自体が否定されているような気持ちになる。

彼女はここのところ睡眠不足が続いている。ワインで酔いが回ったせいもあるのだろう、「今夜はホテルに行くか、貴男の家に泊まりたい」と言い出した。思い通りの味がまだ出せないストレスを何かで解消したいのだ。車を僕の家に向かって走らせた。でも、彼女は家に着くなりベッドに倒れ込んでしまった。

そっとそのまま朝まで寝かせてあげようと思った。でも暫くして彼女は服を全部脱がせてくれと言った。言われるままにしてあげると、今度は僕も全部脱げという。思い通りの味が出せないストレスをセックスで解消したいのだ。その気はなかったけれど、結局随分と長い時間相手をした。酔っているせいもあってか、彼女の要求は果てしなかった。さすがの僕も限界に達して最後は逃げるようにして眠りに就いた。可愛い女だけど、やっぱり大変だな。

今朝は近所で一緒に美味しいラーメンを食べてから彼女の職場へ行った。途中、彼女はコーヒー豆を4種類買った。前日に続いて理想のコーヒー作りだ。僕も色々なコーヒーを何杯も飲まされた。僕にはコーヒーの味を判定する鼻と舌がないようだから無理だ。途中からお姉さんと父親も参加して味比べをした。結論が出たのかどうか、僕は昨夜の疲れから途中で退散した。

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彼女は先ほどまでショップにいた。急なことだが、明日試験的に開店してみると言っている。いい味が出せたのかな・・・

(3月23日、19時40分)

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とっておきの写真(2)

「とっておき」となると、どうしても亡くなったカタイと撮った写真となるのは致し方ない。これは2004年9月、初めてカタイの生まれ故郷のカンペンペットを訪れたときの写真だ。

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僕が53歳、彼女は31歳のときだ。以前僕はバンコクとプーケットへは観光で行ったことがあった。でもそれまで名前も知らなかったタイ中部の田舎町に1週間も滞在することになるとは夢にも思っていなかった。その年、2004年の3月に日本でカタイと初めて出会ったのだった。

当時カタイは日本人の配偶者となっていたが、実際は日本人の夫と一緒ではなく、3歳の男の子(実の父はタイ人)と2人で東京都内の古くて狭いアパートでひっそりと暮らしていた。そして僕たちは偶然街で出会ったのだった。

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当時妻と別居して一人暮らしだった僕はある日、カタイと男の子を自分のマンションに呼んだ。そのとき男の子に先天性の斜視があることがわかり不憫に思った。すぐに東京医科歯科大学で手術を受けさせた。それがキッカケとなったのだろうか、僕たちは深い仲になっていった。そして、付き合い始めて3か月後のカンペンペット行きとなった。彼女が実家に帰るのは数年ぶりだった。

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カタイには日本で生まれた2人の娘(父親はタイ人)がいたが、わけあってタイの実家などに預けられていた。だからこの時、久しぶりの母と娘の再会が実現した。(男の子はまだパスポートがなかったので、知り合いのタイ人のもとで日本に残った)

その後カタイの日本人の夫が病気で亡くなった。僕は自分の所有する家や預金を全部相手に引き渡すこと等を条件にして、別居状態だった日本人の妻との協議離婚を成立させた。そしてカタイを籍に入れ、その連れ子の男の子を養子にした。

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3人で暮らしていた千葉県内の高層団地の6階ベランダで撮った2009年ごろの写真。僕は58歳になっていた。タイに移住する3年前だ。

(3月22日、12時50分)

魂が至福に浸る時間

「魂、魂って言うけど、一体どうなってるの?なんでそんなこと言うの?」と思う人はごく普通だと思う。宗教の時間じゃあるまいし、教会の牧師の説教などとは何の関係もない。でも僕は実体的に知っている。「魂の交歓」はある。「魂の共鳴」はある。観念の世界のことではない。自分の心の中をよ~く観察する人なら、きっと実体的に分かることだ。

さて数日前のことだ。Nが僕の家に泊まった。どうしても僕と一緒にいたいと言うので迎えに行ったのだ。彼女はまだ体調が十分に回復していなかった。彼女はこれから開店しようとしているコーヒーショップのことで頭がいっぱいのようだった。夜遅くなっても寝付けなくて、可愛そうなくらいだった。まだいくつか解決していない問題があったのだ。

日曜日に一緒に教会へ行った。僕は牧師の説教がまったく聞き取れなかった。いつもなら牧師の早口の英語は75%くらい、それを逐次通訳する奥さんのタイ語は70%くらい理解できる。でもその日はほとんど頭の中に入ってこなかった。何かがいつもと違った。

教会を出て一緒に食事した。いったん2人で彼女の家に戻ってから、今度は父親も一緒にコーヒーショップのあるガソリンスタンドへ行った。購入したコーヒーメーカーの消費電力があまりにも大きいので、結構大掛かりな電気工事をしなければならない。その件でガソリンスタンドのオーナーと話し合いがあったのだ。僕はその輪には加わらなかったが、終わるまで待った。そして話し合いがついたのを見届けてから自分の家に帰った。

家の中に一人で入った。当たり前だ。Nは彼女の家に戻ったのだから。すると突然、何の前触れもなく、誰かさんと暮らした日々の情景が瞼に浮かんできた。僕はどうして誰かさんと別れたのだろうか?何か彼女が悪いことでもしたのだろうか?いいや。どうして僕はNと付き合うことになったのだろうか?何かが変ではないか・・・・???

自分の心の中を覗き込んでみた。その奥底にある自分の魂は何を求めているのか?すると、はっきりと僕の魂は誰かさんの魂と共鳴していることに気づいた。そうか・・・今まで誰と付き合っても、いつもいつも誰かさんとヨリを戻したのは、これが理由だったのか。僕の魂と誰かさんの魂はどうしようもなく共鳴している。僕が彼女から離れられなかったのはそのせいだ!!!やっとその理由がわかったのだ。

その夜、僕は独り言として「魂の共鳴」という文章を書いた。そしてスマホを取り上げて彼女にLINEした。「どうしてる?」・・・ただその一言だけ書いて送った。答えはしばらくしてきた。

「元気にしてます。最近は(暑くなってきて)お客さんがいないので、お金はないですけど」

そうだろうな。ゴルフのためにチェンマイに来る外国人は3月に入ってめっきり減ったし、タイ人も暑くなると途端にプレーの回数を減らす。固定給のないキャディーは苦しい季節に入ってしまった。Nに数十万円するコーヒーマシンを買ってやったのだから、誰かさんを少しくらい助けても罰は当たらないだろう・・・そんな気持ちで、わずか3000バーツだが、すぐに送金してあげた。アパート代1か月分だ。

いや、今の文章には偽りがある。「少しくらい助けても罰は当たらないだろう」と言う気持ちからではなかった。彼女が困っているなら、僕の義務として助けなければならないと思ったのだ。「一生僕は貴女を捨てない」と約束した言葉はまだ生きている。だから、これまでも、もし彼女がチェンマイを離れてイサーンの親許に帰ったとしても、きっと彼女の生活を支えて上げるためにお金を送金してあげようと思っていた。

たったの3000バーツ。でもそれを受け取った誰かさんは、LINEの中で泣いた。そしてこんな言葉が返ってきた。

「私を愛していてくれたのですね。私も貴男をずっと愛しています」

僕はこの日、はじめて愛情とお金の関係を理解できた。愛をお金で買うことはできない。絶対にできない。しかし愛があれば、その証はお金で見せることができるということを。きっと彼女は3000バーツではなく1000バーツであったとしても、きっとそこに愛を感じたに違いない。そのお金の意味するものは、キャディーに渡すチップとは根本的に違うのだから。

そして今日の朝、およそ1か月振りで彼女と会った。会うかどうか、ほんの少しだけ迷った。でも共鳴する魂がひとつになるのを妨げるものは何もなかった。彼女は僕の胸の中で涙を流したのでシャツが濡れた。「どうして涙が出てきてしまうのかしら・・・」と彼女は独り言を言った。

Nのコーヒーショップの電気工事は今朝9時から続いている。午後3時の時点ではまだ終わっていない。でももうすぐ終わって、マシンの試運転ができるだろう。Nとは魂のつながりはないのかもしれない。でも、精一杯彼女の人生を応援するつもりに変わりはない。

(3月21日、15時)

魂の共鳴

今日は完全な独り言である。何を言っているのか、きっと分かる人にはわかるだろう。

僕はこれまでたくさんの女と知り合ってきた。そしてたくさんの女と愛し合ってきた。でも過去の時間はもう僕の手の届かない所に行ってしまった。一番愛したはずの女はもうこの世にいない。じゃあ、今は誰を一番愛しているのだろうか・・・

目の前にいる女を一番愛しているのだろうか。いつも抱いている女を一番愛しているのだろうか。不思議なことに、彼女の身体に触れれば触れるほど、僕の魂は別の方に向かっていく。これは一体なんだろう。そう、きっと身体と魂は別々なのだ。

僕が求めていたのはこの世の富でも名誉でもなく、美味しい食べ物でも快楽をもたらすどんな行為でもなかった。自分の魂に共鳴する魂を探し求めていた。2人の魂はたとえ身体が離れ離れになっていても、いつも寄り添っている。それこそが愛だった。僕にとって一番大切なもの。それは僕の魂と共鳴する愛する魂だった。

さまざまな欲望が表に出て来て邪魔をすると魂は曇る。「魂の共鳴」を感じることはできなくなる。でも突然、自分の魂が欲するものが何なのかが露になる。その時が来てしまうと、もう自分ではどうすることもできない。それは自分の魂の一番奥底にある「愛と言う名の純粋な欲望」だからだ。

「一生あなたを捨てることはない」・・・お互いにそう誓い合った相手は、今はこの世にたった一人しかいない。そして「捨てない」と言う意味は・・・相手が困っている時に全力で支えることだと思う。一緒に暮らしていなくても、きっとそれはできる。

(3月19日、21時15分)

エスプレッソ・マシン

おそらく蠣が原因と思われる食あたりから今日で三日目。僕の熱は平熱に戻った。彼女の方は下痢はまだ完全に収まっていないが吐き気は消えたとのこと。だいぶ良くなったので、今朝は僕も彼女も、偶然それぞれの家の近所のラーメン屋へ行って久しぶりに食事らしい食事をした。

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さて、これが昨日Nの新しいコーヒーショップに納入されたエスプレッソマシン。Rancilio(ランチリオ)というイタリアのコーヒー機器専門メーカーのマシンで、世界100か国以上で使われているそうだ。日本でも代理店があるので値段を調べてみて驚いた。これと同じグレードのマシンがおよそ150万円。全く同じものではないが、タイでの価格と比べると値段が3倍ほど違う。

彼女が買ったのはタイのRancilio正規代理店のチェンライ支店だから間違いはないはずだ。でも値段は付属機器がついて約12万バーツ、日本円で50万円ほどだ。レバーの形状が一部違うので、型式はひとつ古いモノだと思う。それにしても150万円と50万円の差はどう説明すればいいのだろうか?国によって価格差があることは理解できるが、それにしても大きな差だ。最新型と旧式では、たとえ新品であってもそれくらいの価格差が出るのだろうか?

昨日マシンと付属品は納入されたけれど、まだ試運転はできなかった。理由は電気の問題。新しいマシンは消費電力が最大3000ワットなのに、この店の電源はその半分くらいの供給力しかなかった。つまり以前ここで営業していたコーヒーショップのマシンはおそらく家庭用の機器だったのだろう。業務用と家庭用では消費電力がまったく違うし、マシンの価格は文字通り桁がちがう。

ということで、Nの店の営業開始は電気工事が行われる明後日の日曜日以降ということになった。Nは食あたりからまだ完全には回復していないので、開店日が延びるのはちょうどいいかもしれない。ただし、今週末Nは僕の家に来て遊ぶこともできない。僕にとってもいい休養になるかな・・・

(3月17日、12時30分)

そろって体調不良

昨日の夕方から調子が悪い。ひとつはチェンマイの空気があまりに酷いので季節的なアレルギー性鼻炎。もうひとつは原因がわからない胃の痛み。チェンマイに来てから胃が痛んだ記憶はなかったのに、1週間前の早朝と昨日の深夜に痛くなった。

先週胃薬を買っておいたので、それを飲んだ。一時間後くらいに軽減したが、いまだに違和感は残っている。それをNに報告したら、何と彼女も昨夜胃の調子がおかしくなって午前2時ごろに吐いたそうだ。

お互いに原因を探した。おととい僕の誕生日だったので、午後3時頃に和食の食べ放題の店に行った。生のカキやエビも食べた。それが原因かもしれない。彼女は嘔吐の症状、僕には嘔吐も下痢もないが37度半ばの発熱と倦怠感がある。ノロウイルス感染の可能性があるだろう。

彼女が言うには、そのほかの可能性としては2つある。ひとつはワインの飲みすぎ。もうひとつは過剰なセックス。確かに一昨日はワインを2人ともたくさん飲んだ。でもアルコールが原因なら24時間以上も経った翌日の夜中に胃が痛くはならないだろう。セックスのやりすぎは全く関係がなさそうだ。それに今回は過剰とまでは言えない。

僕は仕事がないので多少のことは問題ない。でも彼女の方は今日の午前中にイタリア製のコーヒーマシンが届く。50キロ以上の重さのある業務用マシンなので、業者が設置してくれる。現場に立ち会って使い方の説明を聞かなければならない。体調不良だと、ちょっと可哀想かな・・・

ところで、一昨日の誕生日にメッセージをくれたのは、キャディーの誰かさんと亡き妻の男の子(22歳)の二人だけ。近所のコーヒーショップのRはバースデーケーキを買ってくれていた。そしてNは注文した品物がまだ届かないので、今度会ったときに渡してくれるそうだ。中身は秘密だと言っている。

あ、そうそう、今日は宝くじの日だった。1枚だけ買ってある。1等の600万バーツが当たれば、誰かさんとNの2人に半分づつあげようと思う。

(3月16日、8時40分)
プロフィール

Niyom

Author:Niyom
2012年、60歳でチェンマイへ移住。2017年にタイ人の妻を病気で亡くした後、愛人だった若いタイ人女性と再婚、前妻が可愛がっていた小さな犬2匹も一緒に暮らしていたが・・・

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