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“女の言いなり”もまた楽しからずや

2月28日(水)

彼女と一緒に暮らすようになって、ちょうど3か月が経った。正直言うと、最初は不安があった。考えていたのと全然違う性格の女だったら・・・、金遣いのひどい女だったら・・・、料理もできない女だったら・・・。

はじめは生活上の意見がぶつかることもあった。でも年が変わるころまでに、徐々に頑固な僕が柔軟になり、彼女は彼女で上手に相手に合わせる術を学んでいった。

僕もそうだが、犬も完璧に彼女に操縦されている。彼女は今や完全に“お母さん”だ。2匹のうち、ちょっとだけ大きい方の「チビ」がとくにそうだ。

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(カメラを向けると、“お伏せ”をやめたチビ。従順だけど甘えん坊)

彼女が2階へ上がってシャワーを浴びはじめると、チビも2階へ上げってきて、シャワーが終わるまでジッと“お伏せ”をして待っている。彼女が洗濯ものを干しに外へ出ると、チビも一緒に出て洗濯物を咥えて彼女に渡す(のだったら面白いな)。3年一緒に暮らしている僕よりも、3か月にしかならない彼女につき従っている。2匹ともオス犬だということが関係あるのかもしれないが。

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(純正チワワのレックレック。やんちゃ坊主)


ところで話はガラリと変わる。“女の言いなり”というと、もうだいぶ前に亡くなった父と母を思い出す。

僕の両親は一緒になる時に親から勘当された。母の家系は僕が言うのも何だけど、由緒ある家系で、当時はかなりの田舎だったが駅前に広大な土地があった。母の父親は地元の名士だった。

その父親が2人の結婚を断固として許さなかった。母の相手(僕の父)は貧乏百姓の倅で、一介のサラリーマンだったからだろう。戦後間もない頃の話だ。それで僕の両親は駆け落ちした。今ならまずあり得ない本当の駆け落ちだった。父が母をさらって都会で一緒に暮らし始めたのだ。

やがて長男が生まれ、長女が生まれると、頑固な父親の勘当がやっとこさ解けた。僕が生まれたのは勘当が解けたあとだったので、田舎の広い母の実家で生まれたそうだ。

勘当は解けたけれど、僕の父は安サラリーマン。母はプライドだけはやたらと高い単なる専業主婦。決して楽な暮らしではなかった。僕が物心ついた頃に住んでいた家は借家で、6畳と3畳と、2畳ほどの台所しかなかった。そこに5人で住んでいた。もちろん風呂なんてなかった。今彼女と住んでいるチェンマイの家は、当時と比べれば“お城”のようなものだ。

そのあとも借家を転々とした記憶があるが、父は苦労して苦労して自分の家を持つことができた。しかし、昔風に言えば“家柄が違う”2人だったので、父は母に頭が上がらなかった。ほとんど夫婦喧嘩をしたことがなかったし、それらしい状況になっても、父の方から折れた。つまり、何事も結果的には母の言いなりにしかならなかった。だからいつも、“貧しいながらも楽しい”わが家だった。

僕もこの歳になってみて、はじめて“女の言いなり”になることが、こんなにも楽だったのかと気が付いた。まだ完全に実行はしていないが、入ってくるお金は全部彼女に渡して、すべて好きなように切り盛りしてもらうと、もっともっと楽に生きていくことができるかもしれない。

ところがである。これを書いていたら、さっき彼女が部屋に入ってきて、こう言ったのだ。

「今日からイサーンで家の建築工事が始まったって連絡がきたのよ」

「家って、誰の家?」

「何言ってるの。ワタシの家、ワタシたちが将来住む家に決まってるでしょう」

「・・・・??????」

「それとも、アナタはワタシと一緒には住みたくないんですか?」

「いや、そんなことはないけど・・・僕もイサーンに住むの?」

「嫌ならいいですけど、今から建てる家はワタシの家なんですよ」

「へえ・・・・そうだったんだ。初耳だけど」

彼女の母の実家はイサーンのシーサケットというところにある。結婚したら、「そこに住め」と言われるのだろうか???せめてあと15年は待ってもらえないだろうか。まだゴルフもしたいから。というより、これは本当の話なんだろうか。僕は家を建てるお金なんか出してないのに・・・・・

そう言えば、彼女は「4月になったらシーサケットへ1週間ほど行きたいんですけど、いいですか?」と言ってたのを思い出した。

「僕も一緒に行く」と言ったら、

「今はまだ家が汚いから、あなたは行くのが早すぎます。半年か1年くらいして綺麗になったら必ず連れて行きますからね」

そう言ってたのは、このことだったのかな?



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今日も「良い日」にならなかったけど・・・

2月27日(火)

朝の8時過ぎ、彼女はサラピーの郡役場に電話した。

「昨日、外国人との婚姻届けをしようと思ってそちらに伺った者ですが、今日は決裁できる責任者の方はいらっしゃいますか・・・」

電話はあっさりと終わった。電話に出た役場の人ははっきりとした返事をしなかったようだ。責任者が8時過ぎに来ていないことだけは確かだった。さて、どうするか・・・

「とにかく今日も行ってみよう!」と、9時に家を出た。

30分かけて役場に着いたのは9時半。だいたい昨日と同じだった。でも、またまた空振りだ。時間とガソリンを浪費しただけで終わった。どうして2日も続けて決裁できる人間が不在なのだろうか?そんなことで役場の業務が滞らないのだろうか?

多分答えは「業務はいつも滞ってる。」

でもタイ人は「そのことを何とも思わない」か、一般庶民は「役所に文句も言えない」のかもしれない。そして特権階級には特別な計らいがあるのかもしれない。

さすがに同じことが2日続くと、彼女の機嫌も斜めになってきた。昨日は彼女のことを褒め過ぎたようだ。僕は鬼の首でも取ったように言った。

「だから言ったじゃないか。昨日、別の役場へ行けば良かったんだよ・・・」

「そうね。じゃあ今日は別のところへ行ってみましょう」

何だ、あっさりと方針転換する彼女。さすがタイ人らしい。でも何処へ行けばいいのかがわからない。

彼女はケータイのインターネットでいろいろ調べて、数か所の役場へ電話して聞いた。そうしたら、チェンマイ市内だと一か所しか婚姻届けを受け付けてくれないことが判明した。たくさんあるチェンマイ市役所の支所(テサバーン)では手続きができないようだ。受け付けてくれるのは「アンプー・ムアン・チェンマイ」だけ。つまり、チェンマイ市役所だけだ。

さて、今日はそこではなく、別の郡役場へ行ってみることにした。その方が人が少なくて、短い時間で済むと考えたからだ。

11時過ぎにサラピーではない別の郡役場に着いた。家からは15分くらいで、むしろ近い。彼女が受付の人に聞いてから番号札を取って待った。でも30分経っても呼ばれなかった。僕は不安を覚えたので彼女の耳もとで囁いた。

「ちゃんと『外国人との結婚手続きがしたい』と言ったかい?ここも責任者がいないんじゃないか?」

というのは、役場の偉い人の席は二つあったが、どちらもずっと空席だったからだ。そして暫くして、僕の不安は的中した。彼女が年配の係官に呼ばれた。

「外国人との婚姻届がしたいんですけど」

「あなた、ご両親の許可は得てますか?」

なんだそれ!彼女は苦笑いしている。まだ未成年だと思われたらしい。もう30歳だと言うのに。そう言われれば、距離と角度によっては彼女は20代前半くらいに見えなくもない。でも、どう見たって18歳以下はありえない!それとも、その係官は外国人との結婚には両親の許可が必要だと思っているのだろうか。そんな役場で届け出ができるはずもなかった。

年配の女性係官は、「ここでは無理。お隣の郡役場の方が大きいから、そちらに行ってください」と門前払いした。だから言ったこっちゃない。最初から「外国人との結婚」と言っていれば、45分も無駄に待たされることはなかった。

そこからの帰りの車の中で、彼女は大本命の「チェンマイ市役所」にやっとのことで電話した。運転しながら聞き耳を立てていると、彼女のケータイから漏れてくる女性の声は実に明快だった。

「書類はもう準備できてますか?」

「はい、揃ってます」

「外国人の方の独身証明書はタイ語に翻訳されていて、外務省のハンコもありますね」

「はい」

「あなたは結婚したことがありますか?」

「ありません。はじめてです」

「では、成人しているタイ人の証人2人と一緒にお越しください」

あらららら。やっぱり証人を2人連れて行かなければならないのか。これは役場によって異なるはず。サラピーの郡役場ではそれは言われなかった。というより、書類に目を通しただけで「決裁できる人が今日はいないからダメ」と言っただけだ。責任者がいたら、今度は「証人がいないからダメ」と言うかもしれない。

そう言えば、前妻とバンコクで入籍した時は年配のタイ人2人が同行していた。その区役所は、何をするにも賄賂を要求する上級係官のいる役所だったので、当時の政権中枢ともパイプのあった人物が心配して一緒に行ってくれた。たまたま、その悪い上級係官は留守だったので、賄賂は要求されなかった。その人がいなくても、ちゃんと決裁できる別の係官がいた。そして同行してくれた2人が証人も快く引き受けてくれた。

さて、次は再度サラピー郡役場に挑戦するか、それとも本命のチェンマイ市役所にするか・・・僕たちの考えは一致した。決裁できる人間がいないような役所はパス。また別の郡役場も、多分ろくなことはないだろうからパス。今度こそ、外国人との結婚手続きに慣れていると思われるチェンマイ市役所へ行くことにした。取得している僕の書類は3か月間有効だ。

証人は、彼女の父親とお姉さんの2人にするか、それとも友達2人にするか、彼女は車の中で少しだけ迷った。結論は、身内を連れて行くよりも友達の方が気が楽だということになった。ビール好きの友達へのお礼は、お昼ごはん+ビールでよい。タイ料理だから4人で1000バーツを超えることはないだろう。

考えてみると、正式に結婚するメリットがあるのは彼女だけだ。日本へ行けば、仕事もできる配偶者ビザが取れる。将来僕がいなくなったとしても、遺族年金の請求ができる。この2つだけでも大きなメリットだ。それに対して、僕には何のメリットもないんじゃないかな?むしろデメリットがあるかな?じゃあ、なぜ結婚に踏み切るのか・・・?

次回、婚姻届けが不発に終わるようだったら、いっそのこと内縁関係でいくか?そう冗談で彼女に言ってみたら、えらく不満そうな顔をした。やっぱり、パンラヤー(妻)、サーミ―(夫)の関係がいいらしい。


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「すべての日が良い日」って、なかなかいいセリフだった

2月26日(月)

今日は大安吉日。予定通り、婚姻届けをするためにサラピーの郡役場へ行った。そして帰りに、これも予定通り、よく2人で通ったイサーン料理店に立ち寄ってお昼ご飯を食べた。もちろんビール付きだ。

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空港に近いこのイサーン料理店は、去年の7月末、僕が彼女とお別れしようとして、「最後の食事」をするつもりで行ったお店だ(10月のエントリー「真夏の情事(6)」の冒頭に書いた)。新しい住まいに移ってからは一度も行ってなかった。

本当はここで2人だけの“祝杯”をあげるつもりだった。ところが、ちょっとした予期せぬ不都合が生じて、今日は婚姻届けを受理してもらえなかった。

朝の9時半に役場に着いた。駐車場に車をとめて、僕たちは道路を隔てた向かいにあるお店に立ち寄って、書類を何枚かコピーした。彼女の住居登録証と国民登録証を家でコピーするのを忘れてきたからだ。

役場に入ると、カウンターの女性から「外国人の方ですか?」と聞かれ、「そうです」と答えると、、事務室の奥に座っている位が上の男性のところに行くように言われた。

男性の役人は僕から書類とパスポートを受け取り、かなりの時間をかけて読んでいた。ところが、考えもしなかった言葉を口にしたのだった。

「書類は問題ないみたいだけどね。今日は決裁する責任者が会議に出て行って戻ってこないんだ。だから今日は無理なんだ」

え~っ!せっかく大安吉日を選んで今日にしたのに、責任者が不在だから婚姻届けを受け取れない・・・なんじゃそれ!日本ではありえないことだ。やっぱりタイだよな。チェンマイ市内じゃなくて、田舎の役場だからこうなるんだ。

となりに座っている彼女はまったく動揺した様子もなく平然として男性に聞いた。

「いつなら責任者の方はいますか?」

「今は分からないので、朝の8時過ぎてから、前もって電話してちょうだい」

僕は彼女に小声で囁いた。

「せっかく“良い日”を選んで今日にしたんだよ。今日、別の役場に行った方がいいと思うけど・・・」

大安と言う単語がタイ語でどう言うのかわからなかったので、「良い日」と言ったのだ。すると彼女は、僕の言葉をピシャリと否定した。

「今日が良い日ですって?今日も、明日も、明後日も、全ての日が私たちにとっては“良い日”です。他の役場に行く必要はありません。またここに来ましょう」

ということで、今日は正式には“夫婦”になれなかった。僕は少しだけがっかりしたのに、彼女は全然平気そうだった。

「明日も行く?」

「朝、役場に電話してから決めましょう。一日や二日ズレたからと言って、何の問題もないでしょう。」

その通りであることは間違いない。きっと仏滅だって、彼女には関係ないにちがいない。何しろ、「すべての日が良い日」なんだから。いい言葉だね。少し彼女を見直した。というより、問題が起きたときに発する彼女の言葉は、相当に“的を射た”言葉が多い。



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いよいよ明日だな・・・

2月25日(日)

意識してるのは僕だけではないようだ。ここ数日の彼女の様子はこれまでとは少し違う。

「いよいよ、この人の妻になるのね・・・」という感慨が小柄な彼女の様子から窺える。タイ人の女性にとって、婚姻届を出すことがどれほどに重いことなのか、それとも単に形式上のことに過ぎないのか、僕にはよくわからない。日本人ほどでもないかな・・・と思うんだけど、タイ人も同じかもしれない。

明日26日は“大安”なので、午前中に2人で婚姻届けを出しに行くことにした。彼女の父親を含め、親戚は一切関係ない。すべて僕と彼女の2人だけで決めている。結納金も払ってない。

「結婚しよう」とプロポーズしたのは、前妻が亡くなって暫くしてからだ。「好きな女の人と必ず再婚してください」という、僕への“妻の遺言”を実行している感覚があった。だから亡くなった妻への後ろめたい感情はなかった。むしろ後押ししてくれているような感覚さえある。

「早すぎます。一緒に暮らすのは、ずっと後にしてください。まずワタシたちの家を5年後くらいまでに建てましょう。それからでいいです」と、彼女は長期戦を望んだ。僕の妻が亡くなって1年も経たないうちに結婚するなんて、彼女は毛頭考えてもいなかったと思う。

潮目が変わったのは去年の11月だった。妻が亡くなってから6か月経っていた。

10月ごろから妻の長女(じゃじゃ馬)が得体の知れない男を連れ込むようになった。名前も知らないし、何をしてる男かもわからない。その男は、僕と家の中で目が合っても避けるようにして、一言も挨拶すらしない。名前も、いまだに知らない。

そんな日が1か月くらい続いた。僕は警戒した。大柄の、人相が良いとは言えない男が同じ家に寝泊まりしている。僕を完全に無視している。一体、何者・・・?そして、ある日・・・

前の晩にじゃじゃ馬たちが食べた食べ残しや食器類が台所に散乱していた。いつもの事だ。台所は、亡くなった妻が一番大事にしていた場所だ。「自分が死んだら、いつも台所にいますからね」と僕に言っていた、とても大切な場所だ。でも、子供たちはじゃじゃ馬に限らず、そんなことはお構いなしに、いつもひどく汚している。

僕は台所を自分で9割がた片づけたあと、じゃじゃ馬の部屋をノックした。少しは片づけさせようと思ったからだ。

「なんだよ!朝っぱらからうるさいよ!」という声が中からあって、じゃじゃ馬はドアを開けなかった。男がいることもあったのだろう。でも、そんなことはお構いなしに、僕は鍵を持ってきてドアを開けた。

「うるさいんだよ!」

「台所を片付けなさい!」

「自分でやるから、ほっとけよ!」

僕は頭にきて、じゃじゃ馬の手を引っ張って台所に連れて行った。

「なんでいつも、こんなに汚くするんだ。死んだお母さんが悲しむよ。」

「ここはオトサンの家じゃないんだよ!オトサンに関係ないよ。うるさいんだよ!」

「なんだって?」

僕はじゃじゃ馬の左の頬に軽く平手打ちをした。

すると、じゃじゃ馬は妹の部屋へ行って、何やら大声を出して喚いた。寝ていた妹の2歳の男の子がびっくりしてワーワー泣き出した。

「静かに。子どもがびっくりしてるじゃないか・・・」

すると、じゃじゃ馬は急にどこかへ電話し始めた。あまりに早口なので、誰に何を言ってるのか、僕にはわからなかった。

暫くして一人の警官がバイクに乗って僕の家にやってきた。その警官は、僕が玄関から出てくるのを待ってから、こう言った。

「どうしたんですか?女性から連絡があって、義理の父親に殴られたと言ってるんですけど、何があったんですか?」

警官から2メートルくらい離れたところに、じゃじゃ馬が黙って立っていた。

「この子は亡くなった妻の長女ですけど、台所を汚すもんだから、片づけろと怒ったんです。そしたら悪態をつくので1発平手打ちしました。」

「まあ何があったにせよ、お兄さん、落ち着いてくださいね」

そう一言だけ言って、警官は帰って行った。じゃじゃ馬は、あっけにとられて黙ったまま僕と警官を見つめていた。

あとで何人かのタイ人に聞くと、実の父親なら娘を殴ろうと何しようと、タイではほとんど問題にはならないが、親子関係がない“他人”の場合は“事件”となる可能性が高いのだそうだ。

そんな出来事があって、僕は明日結婚する彼女にすぐ相談した。すると彼女は、「今すぐに、あなたの知ってる弁護士に相談しなさい。明日ではダメです。今日すぐに」と言った。僕はその通りにした。

そして、11月の下旬、彼女は大急ぎで今の借家を見つけてきたのだった。家で起こっていることは尋常ではないと判断したのだ。電光石火だった。

弁護士が家にやって来たのは、11月下旬、僕が引っ越す前日のことだった。

「もうこの家に居たくない。亡くなった妻の長女は、ちょっと僕が怒ったくらいで警官を呼ぶような子だ。それよりも、正体不明の男がいるので怖い」と弁護士に訴えた。

なぜ怖いかと言うと、土地と家屋の相続のことだ。土地の権利者は亡くなった妻のまま、誰も相続してない。家屋の権利は妻の遺言によって僕が持っている。ところが、もし僕が死ねば、妻名義の土地だけでなく、家屋の権利もすべて子どもたちにいく。

弁護士と子どもたちとの話し合いの中で、僕は「家の権利をもつ僕と、土地の相続権がある子どもたち3人で、土地家屋を売ったお金を分けることにしたい」と主張した。弁護士は、関係者一人一人を別室に呼んで、土地家屋を売却することについて全員の意向を確かめた。どうやら、唯一反対したのはじゃじゃ馬だったようだ。

弁護士は、僕との通訳を介した話し合いの中で、3人の子どもが僕の実子でないことを知った。娘たちは養子ですらない。妻の遺言を作る時は、てっきり3人とも僕の子どもだと思っていたようだ。とくに、僕と同じ姓を持つ男の子まで連れ子だと知って弁護士は驚いた。

だからどうということはないが、弁護士は僕の気持ちをよく理解してくれた。ただし、土地の相続権を持つ3人の子どもの同意がないと、土地家屋は売却できない。ちょっと時間をおいてから、また弁護士を呼んで話し合いを持つことになった。

あとから聞いたところでは、じゃじゃ馬は僕に聞こえないように、「〇〇〇万バーツ、ふんだくってやる」と、息巻いていたそうだ。通訳の女性がそう言ってた。だからすぐには同意しないで、キャスティングボートを握ったつもりでいるのだろう。女は怖いね。

僕には実は秘密の魂胆がある。彼女と結婚したら、僕の持っている家屋の権利を彼女にあげてしまおうと思っている。

いま土地の権利証に、「土地の上にある構築物の権利は〇〇(僕の名前)」と書いてあるのを、彼女の名義に書き換えるわけだ。まだ弁護士に相談してないので土地の権利者(亡くなった妻)の同意がなくても書き換えられるかどうかわからないが、僕と結婚していれば、書き換えは正当な理由になるはずだ。なぜそうしようと思っているかって・・・それこそは秘密だ(笑)。



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“じゃじゃ馬”娘から電話がきたけど

2月24日(土)

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久しぶりに“いきなり写真”で始めてみよう。これは昨夜の食卓。珍しく僕が準備した。

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彼女は「おいしい、おいしい」と言って食べてくれたんだけど、それはいいとして、僕が台所で腕をふるっているときにケータイが鳴った。

彼女が、「T(じゃじゃ馬娘のこと)からじゃないの?」と言って、ケータイを台所に持ってきた。でも「忙しい、忙しい」と言って取り合わなかった。どうせお金の無心に決まってる。こっちはまさにステーキを焼いてる最中だから、フライパンから目を離すことはできないのだ。

着信音はかなりしつこく鳴っていたけれど、無視した甲斐あって、やがて静かになった。

次はステーキを食べてるときに襲ってきた。今度はどうする・・・数秒思案した挙句、取らない理由が見当たらなかったので、取った。

「オトサン、オトサン、2000バーツ振り込んでちょうだい!」

キタ、キタ、キター!イキナリ、2000バーツ振り込めと来たもんだ。イキナリ、ステーキを食べてるときに来たもんだ。

「おい、挨拶くらいしろよな!」とは言わなかったが、

「それは何に使うお金?」と聞いた。当然だ。

「電気代の請求が3000バーツ以上来た。すぐ送金してちょうだい。すぐ払わないと、電気止められちゃう。どうすればいいの?ワタシはお金がないの。だから毎日毎日仕事してるのよ!」

ケータイからは“じゃじゃ馬”の大きな声が、真向かいに座っておいしいステーキを食べている彼女に丸聞こえだ。彼女は右手を横に振っている。つまり、「お金をやるな」と言うことらしい。しかも、声には出さないで「コーホック(嘘)」と唇で僕に話しかけている。

何でも彼女の言いなりだから、僕はその通りにした。

「ダメだよ。次から電気代くらい自分で払えよ。4人とも仕事してるんだろ。それに電気代が3000バーツ?何だそれ。先月の倍以上じゃないか」

「弟が家に友達呼んで来て、クーラー点けっぱなしにしてる。だからオトサン払いなさい」

念のために解説しておくと、“じゃじゃ馬”とは、亡くなった妻の長女。妻のために建てた家は遺言によって現在は僕の名義になっているが、住んでいるのは、じゃじゃ馬(21歳)と正体不明の男(たぶん恋人)、次女(20歳)とその旦那さん(22歳)と3歳の男の子、そして高校2年の日本国籍のある男の子の全部で6人。

6人のうち、娘2人とそれぞれのパートナーの男は仕事をしている。つまり4人には、いくらか知らないが収入がある。僕はTrueの多チャンネルテレビの代金、wifiと常設電話の代金、そして電気代のうち1000バーツを毎月払ってあげてる。そのほか、家の維持に必要な費用と、家にいる大型犬ラッキーのエサ代を出している。それから、高校生の男の子の学費、生活費は250ccのバイクのガソリン代を含めて、十分なお金をあげてる。

電気代は、これまで大体1500~1600バーツだった。わが家の600~700バーツに比べるとべらぼうに高いが、家が大きいから仕方ないと思って支援してきた。でも3000バーツ以上と言うのはちょっと変だ。

僕が2000バーツの送金を断ったものだから、じゃじゃ馬は「オトサン、ワルイ!」と悪態をついて電話を一方的に切ってしまった。

電話が終わると彼女が口を開いた。

「電気は、3か月以上払わない場合しか切られません。Tの言ってることは嘘です。それに毎日仕事してると言いながら、『お金がない』というのも嘘でしょう。電気代が3000バーツというのだって、怪しいものです」

僕は、すぐに次女の旦那に電話してみた。いつも電気代を払いに行くのは彼だからだ。でも、電話に出なかった。

そのあと1時間くらいしてから、次女から電話がきた。

「オトウサン、さっき電話したでしょ。」

「うん。今どこにいるの?」

「まだ仕事中だけど、もうすぐ終わる。」

「電気代の請求書ある?」

「家にあるけど」

「いくら?」

「3300バーツ」

「ほ~う。何でそんなに高いの?」

「よく知らないけど、T(姉)は弟のせいだと言ってる」

「わかった。」

「はい。オトサン元気?」

「うん。あんたは?」

「元気」

「じゃあね」

これでオシマイ。妹は事も無げに「3300バーツ」と言ったけど、僕に「払って」とは一言も言わなかった。妹はまだお金の無心はしたことがない。僕は先月分の電気代として1000バーツを今月になってから直接旦那に手渡した。ひょっとして、まだ払ってなかったのかもしれない。それで2か月分が合算されている可能性はないかな?

とにかく真実を確かめたいので、高校生の男の子に「今月の電気代の請求書の写真をLINEで送れ」と要望した。そうしたら、先ほど「3300バーツ、もうお姉さんの旦那さんが払ったと言ってるよ」と返事がきた。

何だか訳がわからないね。僕は1週間に2回くらい前の家に帰って、家の荒れ具合のチェックと、犬がちゃんと食べさせてもらってるか確かめてる。誰もやらないので、庭に水を撒くのも僕の仕事だ。一昨日帰ったときは電気代の請求書は見なかった。

とにかく“じゃじゃ馬”には困ったものだ。先日も「毎日仕事してるのに、お米を買うお金がないから送金して!」と言ってきた。「仕事がないからお金がない。だからお米も買えないの~。助けて~」と普通は言うもんじゃないだろうか。

もちろん、“じゃじゃ馬”には送金したことは一度もない。



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なぜ自分はタイにいるんだろう?

2月23日(金)

そんなことを時々思うのは僕だけだろうか・・・今日は、他人にとっては全くつまらない「日記」そのものだ。よほど暇な人以外は読まない方がいい。


日本にいたときは「なぜ僕は日本人に生まれたんだろう?」とか、「どうしてこんな仕事をしてるんだろう?」とか、「なぜこの女性と一緒にいるんだろう?」を含めて、現状の自分について考えてみることなんて、多感な学生時代を除いてほとんどなかった。

ところが50を過ぎて日本でタイ人の女性と出会い、日本人の元妻とは協議離婚。簡単には承知してくれなかったので、とても苦労した。そのあと、タイ人妻の事情で他人よりも少し早めに退職してタイに来てみると、「なんで僕はここにいるんだろう?」とぼんやり思うことがごくたまにあった。そうは言っても、「とんでもない間違いをした」と思ったことは一度もない。今もない。

色々と問題の多い女性だった。ところが、「女と心が通い合うとは、こういうことなんだな」「心の美しい人間とは、こういう人間のことなんだな」と、強く確信できる相手だった。でも、あまりにも純粋な心をもった人間は早死にするのだろうか・・・?

いけない。もう彼女のことは忘れようとしていたのに、ブログでカミングアウトしてしまったばかりに、毎日のように彼女のことが思い出されるようになってしまった。チェンマイの何処へ行っても彼女と一緒に行った場所ばかりだ。日本料理屋もタイ料理屋も、デパートもスーパーも、お寺も山も温泉も、そしてゴルフ場も・・・

もう彼女はこの世にいないのに、どうして僕はここにいるんだろうか。

やっぱりこのブログを立ち上げたときの初志を貫徹して、すべてをリセットした方がよかった。今の僕は「うさぎ」ではない。でも、「過去に生きてはいけない」と、どんなに自分に言い聞かせても、それはそんなに簡単にできることではない。

早く結婚届を出しに行こう。「うさぎ」というニックネームの女と一緒に生きた13年間を忘却の彼方に押しやろう。そして彼女を想うのは、いつの日か僕自身があの世へ旅立っていくときまでお預けにしよう。



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今夜の食卓

2月22日(木)

先週、英語からタイ語へ翻訳をお願いしていた書類を今日の朝、受け取りに行ってきた。(日本ではなく)先にタイで、タイ人と結婚する時に絶対必要になる書類だ。

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翻訳してくれたのは、MAYAショッピング・モールに近いニマンヘミン・ソイ13にある「Language Corner」という小さな会社。書類を受け取った後、「日本人に紹介したいから写真撮らせてね」と言ったら、マスクをしていた女性もそれを取ってカメラの方を見てくれた。

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書類は、この人には結婚する資格がありますよという「独身証明書」と、「結婚宣誓書」と呼ばれている書類の2通。

「宣誓書」は、「法律に定める結婚年齢に達してます。今独身ですけど結婚したことはあります。前の妻はいついつ亡くなりました。今度は誰々さん(タイ国籍)と結婚してタイに住むつもりです。自分は年金受給者で、年収はこれだけしかありません(いや、こんなにあります)。いまの住所は何処どこ、本籍は何処どこ」というようなことが書いてあって、最後に日本に在住する証人2人の氏名と住所が書いてある。

僕はこの2通の書類とパスポート、彼女の方はタビアンバーン(住居登録証)とIDカードを持参して役場に行き、婚姻届けの書類を書いて、必要な書類のコピーも添えて提出すれば、晴れて婚姻が成立するのではないかと思う。まだ行ってないので、どうなるか分からないが。

届け出る役場は、タイ国内であればどこでもいいはずだ。いま住んでいるところの役場でなくてもよい。それは日本も同じだ。

結婚するタイ人の女性は、結婚後の姓を選択できる。日本と違って夫婦別姓が正式に認められている。以前は日本と同じで、タイでも男性の姓に強制的にさせられた。ちなみに前の妻は姓を変えなかった。今の彼女も当面は変えないそうだ。どちらがいいとも言えない。それは結婚する当事者の好みのようなものだ。僕の姓を名乗ってもらわなくても全然かまわない。

ここまで書いたところで、うっかり肝心なことを忘れるところだった。

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今日は5時に夕食開始。いつもの豚肉ではなく、すべて海鮮だった。

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これは「ホイ・ケーン」と呼ばれる貝。おそらく僕は5年以上食べていないと思う。別の貝なら、ほぼ毎日食べてるけど。

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貝を開いたのは彼女の手。彼女はうすら笑いを浮かべて僕の顔を見た。僕には意味が分からない。

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これは何と言うのだろう。カニ、エビ、貝、卵、野菜の料理。こんなのは見たことがない。でも美味しかった。


結局、貝は全部彼女が身を取り出してくれた。辛めのタレも一緒に。

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なるほど、貝ね。たまにはいいものだ。



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「子どもは欲しくないの?」と何回も聞いたけど

2月21日(水)

この半年くらい、彼女とのお勤めの時に「欲しくないんだね?」と念のために聞くことが何度かあった。それはフィニッシュ直前にゴムを被せるときに聞くことがほとんどだった。最近はめったにないが、それでもごくたまに、ギリギリのところで聞くことがある。

60代半ばになって、今さら子どもが欲しいのかと問われれば、「いらない」と答えるだろう。ところが、これは男としての本能かもしれないが、愛情を感じている女と暮らしていると、「この女との間の子どもを見てみたい」と思うことがときどきある。

昨年亡くなった妻は、日本でタイ人男性との間に3人の子どもを産んだ後、(帝王切開を3度やったので)それ以上妊娠しないように卵管を閉じていた。だから子どもはできない体になっていた。ところが僕と出会ってからというもの、何度も「あなたの子どもが欲しい」と言った。いくら彼女が望んでも、可能性はゼロ。ゴム製品を彼女との間では一度も使わなかったが、もちろん子どもが出来るはずもなかった。

この歳になってから子どもを作って苦労するつもりは全くない。でも、30歳になった今の彼女の将来のことを考えると、一人ぐらいは子どもがいた方がいいかもしれない、という思いも僕にはある。ところが、彼女はその話をするといつも否定する。

「絶対に子どもはいりません。子どもなんて、一生懸命育てても結局は親が苦労するだけです」と、にべもない。

きっと、子供を産んだ女性が相手の男に逃げられたりして、とても苦労している姿をたくさん目にしているからそう思うのかもしれない。タイという国は、そういう母子家庭がざらにある。ごく当たり前。親戚のネットワークがきちんと機能しているから社会問題にはならない。

親が苦労するというのは真実だが、同時に子どもは親の希望にもなりうる。それに、「子どもは社会の財産」という北欧福祉国家の考え方を僕は基本的には支持している。彼女はどうして子どもを拒否するのか本当のところはよく分からないが、あまり好ましい考えではないような気がする。みんながそんな風に思うようになったら人類は終わる。

もし僕が50代くらいまでだったら、躊躇せずにゴムを付けずに最後まで突き進むことだろう。彼女がいかに子どもを拒否していても、日常を見ていると、いざ出来てしまえばちゃんと子育てして、いいお母さんになる素質を持った女だと確信できるからだ。とは言え、相手が嫌だと言うのに無理やり作るのは一種の暴力だ。いくら僕がもう少し若かったとしても、そこまではやるべきではない。

以前、心配になって聞いたことがある。

「僕もいなくなって、キミも50歳くらいになって、もし子供がいなかったら、それからあとのことはどう考えてるの?年とってから淋しくなるよ。」

「全然。イサーンには(母方の)親戚がいっぱいいるのよ。そのうちの一人は将来ワタシの子どもになるの。今2歳の男の子。」

もちろん彼女が産んだ子どもでないことは確かだ。僕と彼女は4年越しの付き合いだ。まったく会わなかったのは、前の妻の病状がいよいよ悪化し始めて亡くなるまでの、去年の半年ほどだけだ。その間に妊娠して産めるわけもないし、仮にもし産んだとしても歳が合わない。

どうやら彼女は、イサーンにいる親戚の2歳の男の子の生活支援をしているらしい。ハッキリとは言わないが、調査能力は少しある僕が内偵したところでは(笑)、その子の母親に対して毎月2000バーツ仕送りしている。将来は、本当にその子に面倒をみてもらうつもりらしい。だから、これから成人するまで、成長段階に合わせて相応のお金を仕送りするだろう。

僕は彼女のしていることの是非を論じるつもりはない。それは彼女の母親の故郷であるイサーン地方のある町の、「しきたり」をよく知らないこともある。日本人的な考えで、いい悪いを言うことはできないからだ。

たとえば、「その男の子の母親は母親失格」だとか、「将来面倒見てもらうことを当てにするなら、自分で子供を産んで育ててみろ」とか・・・


今日は、「お勤め」がどうしたこうしたというような、どうでもいい話を面白がって書くのではなく、かなり真面目に記事を書いた。日本もそうだが、タイには子どもを取り巻くさなざまな問題が鬱積しているように思える。貧困に苦しむというのではなく、クスリに汚染される中学生や高校生もたくさんいる。亡くなった妻の連れ子をみていても、さまざまな問題を感じる。

子どもから笑顔が消えたらその国の将来は危ういと言う。かと言って、甘やかすとロクな人間が育たない。家庭でも学校でも、子育ては人類の永遠の課題だ。子どもを産んだ親が報われるとは限らない。逆も多いのは確かだ。書いているうちに、「自分の子どもを産まない」という彼女の選択も、あながち理解不能なことではないような気もしてきた。

世の中には、いくら子どもが欲しくてもできないカップルがたくさんいることもよく知っている。前の家の近所にも、そういうご夫婦がいて、チェンマイ大学病院に通っていた。日本でも、苦労されているご夫婦に会って直接話を聞いたことがある。だから、僕の思いは複雑だ。

本当の本心は?と、しつこく問われれば、「おじいちゃんの父親になってもいいから、彼女に子どもを産んでほしい」ということだろうか・・・だからセックスしたときに、まさに射精の寸前になって、「本当にいらないの?」と聞くことがあるのだろう。



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今夜の食卓

2月20日(火)

今日は4人でゴルフに行ってきた。まだ左足の痛みがあるので本来のプレーはできないが、それなりに楽しめた。

僕に付いたキャディーは彼女の友達で、ときどき家にも遊びに来る女性なので気分よくプレーすることができた。仕事もきっちりやってくれた。

ところが同伴プレーした3人のうち、僕が初めて会った日本人の方には、あまり好ましくないキャディーが付いた。申し訳なかった。もちろん僕のせいではないけど、客人には若くて仕事のできるいいキャディーを譲るべきだった。まだ人間が出来てないと反省しきり。

さて今夜の食卓。いたって質素だったけど、これで十分だ。

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この野菜の名前は彼女に聞いたけど、はっきりしなかった。土曜日にイチゴ狩りに行ったとき、農園で売っていた野菜だ。

美味しい。大好きなニンニクがたっぷり。どれもこれも彼女の作る料理は文句なく美味しいのだ。いつもよりやや辛めだったのがかえって良かったのかも知れない。僕の舌はタイ人の舌になりつつあるようだ。


書かなくてもいいことをワザワザ書く。今日から彼女は“月のもの”が始まった。よってお勤めは、3~4日お預けとなる。一昨日の夜、お勤めの再終盤でゴムを被せて失敗したけど、使わなくてもまずは安全だったということ。でも彼女は、そんなときでも中田氏は絶対に許してくれない。もしものことを警戒しているのだ。


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黒の似合う女

2月19日(月)

最近の彼女を見ていると、これまで見たこともないような化粧品をネット通販で買ったり、1本500バーツもする高価なシャンプーを買ったり、オシャレにこれまでにない神経を使っているようだ。

今日も朝食が終わって、掃除して洗濯を済ませたら、シャワールームにこもって化粧に余念がなかった。「どこかへお出かけ?」と聞いても、「何処へも行きませんよ」と言う返事。実際、これを書いている午後2時半現在、彼女は家から一歩も出ていない。

10時ごろシャワールームから出てきたあとは、いつものようにソファーに寝そべってケータイで遊ぶばかり。一体何のために化粧するのだろうか?ひょっとして僕のため?

そればかりではない。今日は珍しく黒で決めていた。あまり目にすることのない“黒ずくめ”なので、早速カメラを向けたらこうなった。

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これはこっそり撮ったから、まだ気づかれていない。無防備。チビだけ気付いている。

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ちょっと近づいたら、すぐにこうなった。

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それでもめげずにシャッターを押していたら、こうなった。チビも「アララ・・・」という表情だね。

写真で見るとそうでもないけど、黒っぽい装束の彼女は、肌が白いせいもあって、なかなか色っぽかった。だからマトモな1枚を撮ろうと狙った。でもうまくいかなかった。

ちょうど僕は彼女に頼まれて、近所のスーパーまで夕食用の野菜(バイ・カパオ)を買いに行くところだった。そこで一計を案じた。部屋を出て外から彼女を呼んだ。もちろんケータイのカメラを構えてから。「お~い、他にほしいものはないの~?」


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策略は功を奏した。1発で見事に必殺のショット。でも2発目はこうなるのだった。

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何ゆえに自分の奥さんの写真を撮るのにこんなに苦労するのだろうか。それに付き合っていただく読者には、何だか申し訳ない気もするけど、これも僕たちの暮らしの1コマなのだ。


ところで、昨日、彼女が最近は「お勤め」に興味をなくしつつあるかのような記事を書いた。彼女はそれを見てはいないはずだけど、昨夜はえらく積極的だった。寝る前になって突然催してきたらしく、ベッドに入ってくるなり、シャワールームで身に着けたばかりのネグリジェ?を自分からかなぐり捨ててきた。

昨夜は予定になかったけれど、挑まれた闘いは日本男子として受けねばならない。いつものように口撃開始。いとも容易く城郭を攻め落とし、さらに精鋭の騎兵隊による長刀攻撃で彼女はほうほうの体となった。おかげで最近ではめずらしい感極まった喘ぎ声をたっぷりと聞かせてもらった。ところが・・・

そのまま突き進めば一巻の終わりだったのに、なぜか長刀の先っぽに一昨日イチゴ狩りの帰りに購入したばかりのイチゴ色のゴムを被せてしまった。これが失敗の原因となった。

あれよあれよと言う間にピンと張りつめていた長刀が柔らかく変化し始めた。「大事なときに何で?」と自問しても戦況は好転しなかったのだ。

敵の異変を心配した彼女が、何とか立ち直らせようと暫くは情けをかけてくれたけれど、一度しぼんできたモノは簡単には立ち直らない。そのうち興奮から覚めてきた彼女は言った。

「今日はここまでにしましょうね」

「キミは、イッタの?」

「ええ。最初の口撃でイチコロでした」

「そのあとは?」

「とてもよかったわ。でもアナタは力尽きたのね」

力尽きたと言われるほどの激しい戦闘でもなかったが、ここは引け際が肝心とばかりに矛を収めた。最後のダメ押し(ダメ突き)という段になって、矛先がまっすぐ敵に向けられなかったのだから。

オシマイ


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そろそろ飽きてきたのかな?

2月18日(日)

昨日はイチゴ狩りの最中から少し体調に異変を感じていた。家に帰ってから熱をはかると38度近い。風邪の症状もないのに何だろう・・・? 元看護婦の彼女に「どうしようかな?」と聞いてみた。

「外が暑かったからでしょう。今日はゆっくり休みなさい」とだけ言って、そっけない。

「クスリは飲んだ方がいいかな?」

「飲まなくて大丈夫」

そう言われたけど、逆らって解熱剤のパラセタモルを一錠飲んだ。夕食の時、ビールとウイスキーも飲んだ。いつもより少しセーブしただけ。でも昨日の夜は、さすがにお勤めは省略した。

彼女は、僕が「熱がある」と言っても特段心配するようなそぶりは見せない。いつもそうだ。「どうしたのかしらね。こっち来て」とか言って、僕の額に触ったりはしてくれない。本当にそっけない態度だ。

そっけないと言えば、最近はお勤めも以前に比べればそっけないような気がしてきた。前ほどは興味がないように見える。「やり過ぎると、女は子宮がんになりやすいのよ」と言って牽制までする。僕が「今日はしないよ」と前もって宣言すると、彼女の顔に安堵の表情が浮かぶことすらある。

どうしたんだろう?僕とセックスすることが面白くないのかな?そう思い始めると不安になってくる。だから、数日前に聞いてみた。

「最近はあまり乗り気じゃないみたいだけど、どうしたのかな?」

「そんなことはありませんよ。でも、一緒に住むようになってもうすぐ3か月でしょ。」

「それとどういう関係があるの?」

「あなただって分かってるでしょ。別々に暮らしてるときは、あなたと会ってホテルに行けば、ドキドキしてた。すごく大切な時間だったわ。でも今はいつも一緒でしょ。」

やっぱりね。相当の“好き者”以外はたいていこうなることは知ってた。たったの3か月でこうなるとは、少し予想が外れたけど、これは自然なことなので、受け止めるしかない。


さて、一緒に暮らし始める前の話をしよう。1週間に一度か二度(三度もあった)、ホテルに通ってた時のこと。僕たち2人には独得のルーティーンが確立していた。

まずビールを1本注文して、飲みながら2人でビデオを鑑賞する。彼女はファランでも日本人でもなく、たいていタイ人男女のカラミのビデオを選んだ。本当はその手のビデオ自体はあまり好んではいなかったと思う。僕に合わせてくれたのだ。

大事な話しがあるときは、それが30分になることもあったが、たいていは10分くらいでビールが空になり、彼女が先にシャワーを浴び始める。そのあとを僕が追いかけて、“儀式”を行う。

その儀式とは、シャワーを浴びながらの後ろからの挿入。この時はゴムなどもちろん使わない。ベッドへ移る前の“儀式”はほんの5分くらいなのだが、彼女はそれがとても好きだった。僕が後ろに立っただけで彼女の局部にいつも変化が起きた。

二人っきりの秘められた逢瀬の中で、何度かその“儀式”を省略したことがある。そうすると、その次のときは必ず彼女の方から“儀式”を求めてきた。だからシャワールームでの背後からの結合が本当に好きだったのだろう。

その“儀式”を開発したのは僕の方だ。もう忘れてしまったのではない。ただ、2階の寝室に設けられたシャワールームはあまりにも狭い。それに、一緒に暮らし始めてしばらくは彼女はシャワーを浴びるときに鍵をかけていた。今もそうしているかどうか、最近は開けようとしたことがないので分からないが。

「家では、あれが一度もないよね。今度やってみる?」

「何言ってるの。ここはホテルじゃないのよ」

「じゃあ、今度またあのホテルへ行ってみようか」

「はははは」

背後からの結合が家でなくなったわけではない。でも彼女にしてみれば、あのホテルのシャワールームでの“儀式”と、自分たちが暮らす部屋のベッドでの行為は別物だと感じているのかもしれない。

今の彼女は「お勤め」が全くなくなっても多分平気だ。そのうち下手すると、「そんなにしたいなら外でしてらっしゃい」と言い出すかもしれない。想像するに、彼女はそういうタイプの女だ。ベタベタするのも好きじゃない。

彼女は犬と一緒に何不自由のない暮らしができれば、あとは何もいらないと考えるごく平凡な女だ。もちろん僕がいるからその暮らしが維持できることを重々承知している。

「この子、何考えてるのかな~」と僕が少しでも不安を覚えたときは、「愛してるかい?」と聞くことがある。そうすると、彼女はいつも怪訝そうな顔つきに変わる。

「もう一緒に暮らしてるのに、どうしてそんなこと聞くの?愛してるに決まってるでしょ」

自分から「愛してる」とは決して言ってくれない彼女。僕が逆に安心感を覚えるのはなぜだろうか・・・。



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今日の記事とはほとんど関連性がないけど、「たまには僕もブログに出してね」と言いそうなので、初めてアップを公開しよう。名前はレックレック。少しハシタナイ恰好だけど、ゴメンね。


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生まれてはじめてのイチゴ狩り

2月17日(土)

66年ぶりに冬季五輪フィギュアースケートで連覇を果たした羽生くんと、中学生で五段になったばかりの将棋の藤井くんが、今日の公式戦で国民栄誉賞の羽生さんに勝ったという2つのニュースが飛び込んできて、僕の頭は少し混乱した(そんなわけないか)。

※その後のニュースで、藤井くんはこの棋戦(朝日杯)に優勝し、史上最年少の6段になったそうな。すご~い!!

それはともかく、今日は家から車で1時間少々の山奥にあるサムーンというところへイチゴ狩りに行ってきた。たまたま昨日、前に住んでいた家の近くの国道でたくさんのお店が軒を連ねているのを見て、「そうだ、この時期はいつもイチゴを食べてた」ということを思い出したのだ。

僕の記憶では、チェンマイのイチゴの最盛期は1月頃だ。でも、ここんとこ急に露店が増えたところをみると、今年は少し遅いのかもしれない。

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イチゴとは無関係だが、彼女はこういうジーンズが好きみたいだ。去年の12月にバンコクへ遊びに行ったとき、似たようなタイプのジーンズを3本も買っていた。

この写真は、シャッターを一発だけ押して仕留めた1枚だ。もたもたしてると、彼女はカメラから逃げ回るか、あるいは手をかざして拒否する。

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後ろから見ると、普通のジーンズに見える。最近の若めの女性の間でこんなのが流行っているのだろうか。

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このイチゴ畑は入場料が一人20バーツだった。もちろん食べ放題だが、お持ち帰りは別料金だ。

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よく熟れたイチゴを現場で食し、あと2~3日で完熟しそうな粒をバケツに放り込んだ。ほかの人のバケツを覗き込むと、まだ青いイチゴばかりを選んでいる人もいた。きっと自分で食べるのではなく、遠くにいる親戚に送るのかもしれないな、と思って見ていた。

お持ち帰りの料金は1キロで90バーツくらいだろうか。秤を見ると、バケツから出して1.5キロくらいで、140バーツと言われた。もちろん、そこいらの露店で買うよりも安いし、ちゃんと丈夫な箱に入れてくれた。

入場料や、ここに来るまでのガソリン代などがかかっているから、街の露店より格別に安いわけではない。でも、自分でとったイチゴを食べながら、バケツに放り込んでいくのは結構楽しい時間だった。

イチゴ狩りをしたことのない日本人って、かなり珍しいかもしれない。たまたまだけど、彼女も初めての体験だった。


イチゴ狩りの帰りに、そろそろ切れかけているゴム製品を調達して帰った。何の関係があるの?と言われそうだけど、イチゴの絵のある製品を選んだ。色がイチゴ色なだけでなく、少しイチゴの香りがついている。赤いのはドキッとするので好みではないけど、香りはなかなかいける。1か月ももたない12個しか入ってないのに、値段は本物のイチゴよりだいぶ高かった。


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今夜の食卓

2月16日(金)

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今夜は“いきなり写真”で始めてみた。料理が運ばれてきて、僕がケータイのカメラを構えると、いつも彼女は席に着くのを躊躇する。写真に撮られることを嫌がっているのだ。でも、結局は4~5回シャッターを押して、少しでもマシな画像をアップロードする。このプロセスはいつも同じだ。

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彼女の手作りになるタイ風の料理。豚肉とインゲン、それにバイマクルーと呼ばれる葉っぱも入っている。辛さは適当で、ビールがすすむ。

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こちらは、夕方近所のBig-Cへビールとウイスキーとソーダ水を買いに行ったときに見つけた焼き魚。トラピアと書いてある。65バーツ。彼女に言わせると、新鮮さがないので全然ダメ。半分は愛犬に与えた。

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魚に付けるタレは彼女のお手製だ。これもちょうどいい辛さに仕上がっている。完璧に僕の好みの辛さを心得てる。


さて昨日投稿した「2つのブログ」のこと。「Niyom=うさぎ」だということ。いつかはこれを書かなければならないと前から思っていたけれど、意外と早くその時が来た。

いただいたコメントを読ませていただくと、「うさぎ」という名前で家族のことを書いていた僕と、「お勤め路線」をひた走ってきた今の僕「Niyom」との落差に驚いている人がいるようだ。ブログの文体だけではなく、人格まで違うようだと書いてきた人もいた。つまり、前は人格者然としていたのに、今は単なるエロじじい。ホントは前からエロじじいだけどね(笑)。

それもそのはず、前のブログではセックスのことなど一度たりとも書いたことがなかった。僕の知る範囲では、あからさまにセックスのことを書いているブログは、夜遊びをテーマにしたブログ以外ではめったにお目にかからない。

「楽園づくり」では、すごく人がよくて、妻と3人の子供たちをこの上なく愛している“お父さん”というイメージが強かっただけに、若い女とうつつを抜かす「楽々日記」の作者と同一人物だなんて、とても思えないのだろう。ましてや、子供たちがみんな妻の連れ子だと分かった日には、「今どき何という奇特な人がいるんだろう」と思った人もいたはずだ。たくさんのタイ人からもそう言われた。

どちらも本当の僕だ。最愛の妻を亡くして気が触れたから変貌したわけではない。前のブログは、僕のチェンマイでの生活の一断面を切り取った。そして今のブログも、もうひとつの断面を浮き彫りにしようとしている。ただそれだけのことだ。人生は、思うに多面的なものだ。平板ではない。

亡くなった前妻のことは、これからはできるだけ書かないことにしようと思う。人は過去に生きてはいけない。いま一緒に暮らしている彼女を一番大事にしなければならないと思う。ましてや、もうすぐ結婚して妻となる女なのだから・・・



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2つのブログ

2月15日(木)

かなりの数の読者がすでに気付いていると思うので、ここらでハッキリと書いておこう。

先月末に、「昔話に花が咲く」という記事を投稿した頃から、「ひょっとしてチェンマイからブログを発信されていたウサギさんじゃありませんか?」というような内容の非公開コメントが何人かの方から届くようになった。

前のブログをやめた理由の第一は、亡くなった妻のことを書くことがあまりにも辛くなったからだった。僕のことを最後まで愛し続けてくれた妻を思うことは、ある意味では甘美な記憶を呼び覚ます営みだったが、同時に、もう取り戻すことが不可能な時間へとワープすることも意味し、僕の胸をひどく締め付けた。

前のブログでは、チェンマイに移住した頃の家づくりのことや、乳癌を患う妻の事をよく書いた。その3人の連れ子の事も頻繁に書いた。時々はチェンマイの案内になるような記事も書いた。もちろん嘘は書いてないが、家族のことを書くときは若干の誇張や脚色は施した。個人のブログとは言え、人に読んでもらう以上は読みやすく、しかも面白く読んでもらいたいと考えたからだ。

その基本的な考えは、文体が若干異なるとはいえ、この「チェンマイ楽々日記」にも引き継いでいる。ただ、前の生真面目一辺倒のブログとは違って、「面白半分に書くブログ」として、今の彼女との「お勤め」のことを中心に、フィクションとも、ノンフィクションともつかない異色のブログ作りを試みようと思い立ってはじめたものだ。

ところが新しいブログを書くうちに、ひょんな出来事(まだ事実は何も書いてない)があってから彼女と同居する事態になったり、「お勤め」以外のいろいろな出来事も守備範囲にしてみようとなってきた。

そうすると、純然たる創作でない限りは、亡くなった妻のことにも触れないわけにはいかなくなるわけだ。いや、触れなくてもいいのだけれど、そうすると、今の彼女に関しても「核心的なこと」が書けないことに気づいた。それもあって、「昔話に花が咲く」と題して亡くなった妻のことを書いた。いったんそうすると、もう止まらないわけだ。

事実に基づかない“架空の出来事”を書くことは最も難しい。その才能は僕にはない。だから、このブログもほとんどは事実がベースになっている。その路線でいくと、「面白半分」のつもりだったものが、だんだんと前のブログのような「生真面目なブログ」に近づいてくるのは必然だったような気がする。


※前のブログは「楽園づくり~わが家のチェンマイ移住日記」という題名で、2011年6月から2017年6月までのちょうど6年間続けた。今も閉鎖はしていない。

では、前のブログに覚えがあるという人はポチっとお願いします。覚えのない人は、どうしようもなく暇なときに覗いてみてください。
(うさぎ&Niyom)


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バレンタインデーだけど・・・

2月14日(水)

タイ人との結婚手続きは面倒だ。亡くなった前妻とは日本で婚姻届けを先に出し、その3年後くらいにタイで婚姻の手続きをした。今度は逆で、まずタイの役場に届け出をし、そのあと日本の戸籍に反映されるように手続きするつもりで作業を進めている。

今週はまず日本総領事館へ行って「独身証明書」と「結婚資格宣言書」という2通りの書類(どちらも英語)を発行してもらった。

その2通の英文書類をタイ語に翻訳した後、チェンマイ県庁(またはバンコクの外務省)へ行って翻訳を認証してもらわなければならない。これが一番面倒なプロセスだ。

もしタイにある日本の領事館や大使館が最初からタイ語で書類を作ってくれたら、認証の必要はないかもしれない?英語で作るのは、国際標準言語だから?英語圏での国際結婚の場合は、この認証プロセスがないのだろうか?いろいろと気になることが出てきた。

昨日までは自分で英語からタイ語の翻訳作業をするつもりでいた。でも、色々調べてみると、素人の翻訳は危なっかしいことが分かった。役所に出す文書は一種の「決まり文句」があって、勝手に自己流で翻訳すると受け付けてもらえない可能性が高いらしい。さすがに、ネットでは翻訳の見本は短時間では見つからなかった。あれば、自分で作ったと思うが・・・。

チェンマイには、バンコク程ではないがかなりの数の翻訳業者が存在する。今朝、ネットで少し調べてみた。すると、たまたま良さそうな業者がすぐに見つかった。良さそうかどうかがどうしてわかるかと言うと、長年の勘だ。それ以外の何物でもない。

車で30分かけてさっそく行ってみた。予想通り、きちんとした雰囲気の事務所だった。すごく狭いけど、受付に制服を着用した女性が二人、客もいないのに雑談もせずにきちんと座っていて、奥には責任者と思しき年配の女性が一人いた。

どこにも書いてなかったことがひとつあった。翻訳と認証をまとめて依頼する場合、相手のタイ人の国民登録証のコピー(本人のサイン済み)が1通、必ず必要になる。僕はそれを知らなかったが、虫の知らせで、今朝家を出る時に彼女のIDカードのコピーを取り、サインをさせて持っていた。これがなかったら、また出直さなければならないところだった。

翻訳業者は、僕の氏名や両親の氏名を英文字ではなくタイ文字で表記した文書を作成しなければならない。これについても、僕の外国人用のタビアンバーン(住居登録証)の画像が携帯の中にあったので、それを取り出して見せた。見せただけではスペルを間違う可能性があるのだろうか、僕と彼らの携帯のLINEをつなげてタビアンバーンの画像を送った。それを見て彼らはスペルチェックを行うわけだ。つまり、それくらいきちんと仕事をする翻訳業者に当たったということだ。

翻訳+県庁での認証手続き代行の料金は、県庁で払う認証手数料(800バーツ?)を含め全部で2,500バーツだった。ちょっと高めなのかなという気もしたけど、日本人向けに広告を出している業者だったら、おそらく2枚の書類の翻訳だけでもそれくらい取るだろう。逆に安かろう悪かろうという業者もあるので、注意が必要なようだ。あまりケチってもいけない。

僕が今日依頼した翻訳業者の詳細は、認証を受けた書類を受け取ってから明らかにすることにする。つまり1週間後だ。

ところで、たまたま今日はバレンタインデーだった。まったく知らずに、帰りにいつもの寿司屋へ寄り、セブンイレブンへも寄ってビール2本と合わせてお土産に持って帰った。そしたら彼女が「今日はバレンタインデーだからね」と言った。それで、初めて気付いたというわけだ。

タイのバレンタインデーは日本とは全く逆で、男性から女性へ何かをプレゼントする。でも、寿司とビールの代金は彼女の財布から出してくれた。元々は僕のお金だったんだけど。それとも、キャディーとしての稼ぎから?



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プロフィール

Niyom

Author:Niyom
身を削って過ごした30余年のサラリーマン生活にピリオド。ここチェンマイに移り住んでからも、楽しいこと辛いこと、いろいろとありました。でも、それは全部過去のこと。人生、どこまでリセットできるものなのか、自ら実験台になって生きています。

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