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令和の時代、当ブログの変更について

5月1日(水)

4月1日に書きました通り、「チェンマイ楽々日記」は、にほんブログ村のランキングからは脱退させていただくことにします。

実はエイプリルフールを意識して書いたことなのですが、実際にそうすることにしました。理由としては、読んでもらうことをあまり意識せず、純然たる日記らしく再スタートしたいという思いが強くなったからです。その場合、人気の順位を競うという行為に違和感を覚えるからです。

ただし、にほんブログ村から完全に脱退すると、ブログ村から当ブログを読むことができなくなるため、当面は退会しないでおきます。つまり、バナーを外すことによって、「順位には興味がありません」ということを明らかにするということです。ですので、ブログ村から当ブログにアクセスしてくださる読者の皆様にご迷惑をおかけすることはないと思います。

にほんブログ村を経由しなくても、「チェンマイ楽々日記」というキーワードをブラウザーに入力すれば、従来通りご覧いただけます。ちなみに、6年間続けた「楽園づくり~わが家のチェンマイ移住日記」も、普通にブログ名で検索すれば、今でも過去記事を全部お読みいただけます。

当ブログの、当面の変更点は以下の通りです。

1.ブログ村バナーの撤去

2.コメント欄の撤去

何か意見を書いたり、私に連絡されたい場合は、コメントではなく、右側のコラムに「メールフォーム」がありますので、そちらをご利用ください。ただし、その場合はコメントとは違って、ご自分のメールアドレスの入力が必須になります。

3.書く内容と文体の変化

記事を書くと言うより、日記に徹していこうと思いますので、読みにくい文章や意味不明のことも書くかもしれません。趣味としての作文はやめて、それこそ“独りよがり”で書きます。それに伴って、読者に理解していただくための説明的な記述はしないつもりです。

ところで、画像の使用はこれまで出来るだけ控えてきました。本当の日記にした場合はなくなるのかどうか、それは分かりません。逆に増えるかもしれませんね。


読者の皆様にはブログ・ランキングの向上に長い間ご協力いただき、本当にありがとうございました。「最近あいつは彼女とどうなってるんだろう」とか、「何を考えてるんだろう」とか、ご興味がおありになれば、引き続き「チェンマイ楽々日記」にアクセスしてください。






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バンコクへ遊びに行くかどうか、迷うなぁ

彼女とバンコクへ行ったのは一昨年の暮れだった。あの時は、スクムヴィットのやや高級なホテルに5泊くらいした。H氏から誘われなかったら、行くことはなかったはず。

行ってよかったのは確かだ。家族が2年間オンヌットに住んでいたんだから、懐かしさもあった。彼女も毎晩美味しいものをご馳走になったり、ウイークエンドマーケットで買い物したりして喜んでいたな。


昨日急に、また行きたいと言い出した。いつものように「お金がない」と渋ったら、「だって、あなたが『バンコクへ行くか?』って言ってたじゃない。」

確かに数か月前に言ったかもしれない。でも、それはもう時効だな。

今度は飛行機じゃなくて、バスでいいという。汽車の旅はどうかと提案したら、絶対にいやだという。どうせなら、バスより汽車がいいと思うのだが、汽車の方が危ないんだと。そんな馬鹿な。

今度は500バーツくらいの超安いホテルでいいという。ずっと昔、Aと遊びで付き合っていた頃、ちょうど500バーツのホテルに何回か泊ったことがあった。あの頃はまあまあだった。今でも、500バーツでも快適なホテル、バンコクにもあるんだろうか?

それより、頭にきたのは旅行の総費用だ。往復バスでいい、500バーツのホテルでいい、食事は和食じゃなくて、普通の庶民的タイ料理でいいと言いながら、予算の総額は「5万バーツくらい大丈夫?」ときたもんだ。

一体どういう思考回路なんだ。一体何に使うつもりなんだ。バンコクの友達に大盤振る舞いするつもりか?

こんな訳の分からない女と一緒にいることが馬鹿らしくなった。「いやなら出ていけ」と脅かす気力も萎えてしまった。

さっきブログのプロフィール欄をいじった時、「・・・3人目があるのかどうか。」と一度は書いてみた。でも、それが自分の本心かどうかが分からなかったので、最後の一文は削った。

一緒に暮らして1年半。最近はいやになることが多すぎる。というか、夫婦って、一緒にいるといやなことも多いのだろうか?通算4人目の妻だけど、自分が不愉快になった女はいなかったような気がする。でもやっぱり夫婦は我慢が肝心か・・・向こうもそうだろうから。

(5月1日・13時半)



置屋のオヤジじゃないんだけどなぁ

余計なことをしてしまったかなぁと、少し反省している。もうすぐチェンマイに遊びに来る知り合いに、何人かの若い女性の写真を送ってしまったからだ。まるでお見合いみたいに。

これまでも、「この人はどうですか?」と仲介の労をとったことがある。でも実績としては、うまくいったことはない。いや、真面目にお相手を探していると思ったから紹介したんだけど、彼らは結局のところ、お遊びでしかない。“とっておきの女”ではなかった、ということもある。やはりみんな若くて美人がお好みのようだ。

今回は、最初から“お遊び”だということは分かっている。「玄人と遊ぶのが馬鹿らしくなったから、素人を紹介してくれ」というわけだ。これは結構難しい。というのは、まず定義の問題がある。

遊びを承知で、金銭との交換で付き合ってくれる女が“玄人の女”だとすると、遊びだと分かって付き合ってくれる素人の女は、たとえ“素人”であっても“玄人”の範疇に入ることになる。素人でも“愛人志願”はたくさんいるから、話がややこしい。

理屈はこの際どうでもいいとして、現実的に、本当にパートナーとして日本人男性を求めていて、それも高齢者でもいいという若い女を紹介したとしよう。そして、何かの弾みで双方が気に入ったらどうなる・・・・?男の方には日本に高齢の奥さんがいる。

それよりも、面白くないのは今回紹介しようとしている女は、ほとんど僕好みの範疇に入る女だということ。ある種の矛盾だ。自分で愛人にすればいいのに、好きな女を別の男に譲るような心境になってしまう。これでは置屋のオヤジにはなれない。いや真面目な話、双方が本気になったらどうなるの・・・?

でもタイの女はサバサバしてる。この話を彼女にしたら、「それならAがいいんじゃない。彼女は今、彼氏がいないから」だと。若い男女なら少しは理解できるが、40も50もの歳の差だからね。こっちが羨ましくなっちゃうよ。

(5月1日、午後8時)



“愛”の考察

令和になって「般若心経」の勉強を始めた。突然始めた。

とっかかりとして選んだのは、瀬戸内寂聴さんの本。先日、新聞で97歳の寂聴さんの記事を目にしたとき、そう言えば寂聴さんの本を、晴美さんの小説も含めて1冊も読んでいないことに気付いた。

どれを読もうか、いろいろ検索してみたけど、どれも食指が動かなかったのに、なぜかこれだけが気になった。

「般若心経~生きるとは」(中公文庫)

昔はキリスト教に深入りしたことがある。だから本来、宗教的なものには感受性の高い心が自分の中にあるに違いない。でも、漢字はなかなか読みにくい。一番苦労するのは、ふりがながあるとはいえ、読み方だったけど、なんとかついて行けた。というより、まだ半分だが・・・

今日勉強した中で、一番わかりやすかったこと。「渇愛」と「慈愛」。

「慈愛」の方は馴染んだ言葉だけど、「渇愛」という言葉は初見だったような気がする。西欧のキリスト教的な言葉で言うと、「エロス」と「アガペー」に相当する。寂聴さんに言われなくても、見た瞬間に理解した。

「渇愛」は見返りを求める愛。それに対して「慈愛」はあげっぱなし。「利己的な愛」と「利他的な愛」と言う風に理解しても間違いではない。勉強としてはそういう理解でいいだろう。

でも僕はちょっとこの2つを全く別の愛と考えることには必ずしも賛成できない。2つの愛には境界線がないんじゃないかな。

「渇愛」はある時「慈愛」に変容する契機を含んでいるかもしれないし、人間の場合は一見「慈愛」とみえる行為や思いに、実は見返りを求める心が隠されていて、当人もそれに気づいていないということもありそうだ。それくらい、「愛」というのは得体のしれない、いかにも人間らしいもののように思える。

何を言いたいか?渇愛は卑俗、慈愛は崇高という割り切りはむずかしいと思う。人間には両方あって、片方しかなければ、それは人間ではない。キリスト様か観音様なら分からないではないが・・・

自分の心を解析しても、それが証明されるような気がする。「これだけお金をあげてるんだから、ちゃんと老後の面倒をみろよな」というのは、典型的な「渇愛」。「彼女が将来も幸せに暮らせるように、今できるだけの援助をしてあげよう」というのは「慈愛」に入るだろう。見返りに「お勤め150回」なんていうのは、もってのほかだ。でも、この2つは混沌として絡み合っている。

この2つは分離できない。あるときは「渇愛」が表に出て、あるときは「慈愛」が顔を出す。「表」と「裏」。「陽」と「陰」。「正」と「負」。「ちん〇」と「お〇〇」。おっと、それは関係ない?いやいや、大いに関係ありますな。だって人間だから。男と女だから。それ抜きに、人の世の何事も語れない。それ抜きに、人間の煩悩は生まれない。

(5月1日、午後11時)



平成最後の頑張りで、しくじった

昨日の朝から右膝が痛む。じっとしていれば殆ど感じないが、歩くとギュッと痛みが走る。

一番痛むのは階段の昇り降りのときだ。寝室は2階だし、愛用のパソコンがあるのも2階。一日に何度も往復するから膝が悲鳴をあげる。今日は、昨日よりも悪化しているようだ。これはいかん。

昨日、般若心経を勉強したばかりだ。ものごとには「因」があり、「縁」が加わって「果」を生じる。


平成最後の日に、5日ぶりくらいでゴルフの打ちっぱなしに行った。いつもはトレーが2つ。球数では80球なのに、一昨日は平成最後ということで?気合が入って?その倍の160球も打った。それだけなら問題はなかっただろうに、その前にやった運動がよくなかった。

ゴルフで重要な体重移動の運動だった。一昨日初めて試してみた。足を前に出す。前の膝がほぼ直角に曲がるまで前後に伸ばし、両腕を地面と水平にしてからグイッと捻じる。そうすると前にある方の足に体重が思いっきりかかる。体重移動の感覚。その運動で右膝に極端な荷重をかけてしまったようだ。

そのときは何ともなくて、160球ボールを打った。そして一晩寝てから、フィニッシュで体重を乗せる方の膝に症状が出たってわけだ。左は問題なし。右だけでよかったが、それでもよくはない。膝が痛いなんてのは、生まれて初めての経験だ。

「因」は初めてやった体重移動の運動。「縁」はゴルフボールの打ちっぱなし。そして「果」は右膝の痛み。普通に考えればこうなるが、真実はどうやら違うね。「因」が違うだろう。

「因」は身体の老化。「縁」が体重移動の運動と過剰なボール打ち。だから別にゴルフでなくても身体のあちこちに痛みが出てくるはずだ。生老病死のどれも、人間は避けることができない。ちっとも悲しくはない。僕も人間だと言う証拠なんだからね。

ところで、膝を痛めて非常に困った事態が起きた。こちらの方は悲しい。

今朝早く、右膝の痛みをこらえて「お勤め」を敢行しようとした。令和の“初お勤め”だから。「膝が痛いんだったら、やめなさいよ」という彼女の忠告を無視。途中までは立っていたムスコが、いざ挿入という段になって萎えてしまった。

「だから言ったでしょ」という彼女の冷たい声が追い打ちをかけた。二度と回復しなかった。励ましてくれたり、手伝ってくれたり一切なし。やっぱり、ひどい女なんだ。慈愛がカケラもない。

これについても「因果」を考えてみよう。

「因」は右膝の痛み。「縁」は彼女の協力がなかったこと。そして「果」は言うまでもなく、性交不能だ。もしバイアグラでも使っていたら、また結果は違うのかもしれないが、今さら言ってもしょうがない。

でも待てよ・・・

「因」は冷たい彼女の態度だ。それに違いない。そして「縁」が膝の痛み。この場合はバイアグラを使ったとしても「果」に変わりはないような気がする。

僕の「渇愛」に対して、どうして彼女は「慈愛」で応えてくれないのだろうか?性交不能の経験がこんなに悲しいものだとは、思いもよらなかった。フィニッシュまでいかなかった経験は何度もある。でも挿入すらできなかったのは生まれて初めてのことだったのだ。

これがトラウマになったら、どうするかね。念のために今度はクスリを使ってみるか・・・「平成とともに終了」なんて、いやだからね。

(5月2日、午前10時)



4度目の結婚と聞くと・・・

5月1日付けでワチラローンコーン国王(66歳)が正式に結婚された。お相手は、元タイ航空の客室乗務員で、陸軍の王室警護隊に所属していた40歳の女性だそうだ。これでタイに「王妃」が誕生したことになる。

現・国王は聞くところによると、これが4度目の結婚なんだそうだ。4度目というと、日本人の有名どころでは、すでに亡くなったショーケン、萩原健一がいる。正確には年齢を覚えていないが、僕と同世代だ。最初の結婚のお相手は石田あゆみ。2番目、3番目、4番目はまったく名前を憶えていない。ウイキペディアを見なければ思い出せない。

ほかにも芸能人で、ショーケンほど有名ではないけれども、タレントの清水国明がいる。やはり僕と同世代。つまり、まさか40代くらいで4度目の結婚と言うのは、なかなか考えにくいということだ。

再婚は今やザラになった。珍しくも何ともなくて、街を歩けば既婚者の半分とまではいかないが、日本でも2~3割に達する勢いだ。3度目となると、かなり珍しい。4度となると非常に珍しいと思う。あるとしても、たいていは芸能人ではなかろうか。一般人としては、いま右膝を痛めているチェンマイ在住の男が4度結婚しているが、その事実を知っているのは親戚でもあまりいないはずだ。

ところで、再婚するためには、その前に離婚するか、配偶者との死別がなければならない。そこで問題となるのが離婚率だ。最初の結婚よりも2度目の結婚の方が離婚率が高いそうだ。さらに、3度目となると更に離婚率が高くなるらしい。そして4度目は・・・

結婚を重ねるほどに離婚する率が上がると言うのは、体感的に分かるような気がする。まさに体感。当然、一種の“慣れ”もあるだろう。でもそれ以上に大きいのは、経験を積めば積むほどに生じてくる自信のようなものだ。

男で言えば、結婚を重ねるごとに相手が若くなる。いくつになっても、若い女を求める。もっと若い女、もっと、もっと。できれば法律の許すギリギリまで。だから、若い女が簡単に逃げ出せないように、繋ぎとめておくために結婚するのか?体感的に言うと、そうではない。慣れてしまっているから、逆に女を繋ぎとめたいとも思わなくなる。いくつになっても、いつでも相手は見つけられる、という自信を身につけてしまうのだ。

話がショーケンに戻る。

40歳くらいの頃、僕が東京渋谷区のある蕎麦屋にいたときだった。一人だった。すると、見たことのあるような男が一人で入ってきて、目の前に座った。お昼時を少し過ぎていたので、ほかにもテーブルは空いていたような記憶がある。僕の顔と彼の顔の距離は1メートルちょっと。その男は僕が食べようとしていた出来たての天ざるにチラッと眼をやってから、同じものを注文した。

二人ともずっと黙ったままだった。そりゃそうだろう、たまたま相席になっただけだから。いくら瞬間的にショーケンだと分かっても、僕から「こんにちは」とは言わない。もちろん、彼から言葉をかけることは、なおさらあり得ない。でも時たま、どちらからともなく相手の顔を見ながら、天ざるを食べたのだ。

テレビや映画で見るショーケンよりも目は優しそうだった。なおかつシャイな感じがして、独特の哀愁があった。何しろ1メートルで10分くらい一緒だったから、あの印象は強烈だった。まさか二人とも、4回も結婚するとは、お互いあのときは想像もしていなかっただろう。

(5月2日、午後1時)


脳内が活性化してきたか?

昨日から般若心経を勉強しているせいだろうか。それとも、ブログを一日に何回も書くようになったからだろうか。それとも日本の元号が改まって新しい時代に入ったからだろうか・・・(笑)

今日、久しぶりに詰将棋をやってみた。あまり難しい問題だと時間ばかりかかって中々解けない。苦しくなって、イライラして脳にストレスを与えるので、かえって頭が働かなくなる。それで5手詰めの比較的やさしい問題にした。やさしいと言っても、だいたい10分以内に解ければ1級から初段というレベルの問題だ。

そうしたら、手が見える。自分でも怖いぐらいに手が見える。ほとんど瞬間的に解けるものもある。今までだったら、5手詰めでも駒を動かしてみなければ正解に辿り着けないことが多かったのに、問題を見ただけですぐ解けてしまうものもある。

「この手の次はこうしてみよう。その次にこうするとどうなるか・・・」という感じで思考していない。一気に正解の5手がまとめて見えてしまうのだ。そう、「見える」という表現がピッタリする。5問やれば、2問はそんな感じ。考えるのではなく、見える。何か不思議な感覚だ。

そこでひとつの仮説をたててみた。ある意味で、当たり前のことかもしれないが。

「脳というものは、ひとつの分野で活性化すると、異なる領域でも働きがよくなる」

数学をやっていたら将棋が強くなった。将棋を勉強したら囲碁まで上達した。難しい英語の文章を読み解く訓練をしたら、それまで苦手だった漢文も分かるようになった・・・etc.

では詰将棋が急に素早く解けるようになったのはなぜだろう。何が「因」で、何が「縁」なのか?

ここ数日で変わったことと言えば、右膝を痛めたことを別にすれば、やはり般若心経の勉強を始めたことと、自由気ままにブログを書き始めたことぐらいしか思い当たるものがない。

何かから解き放たれて、心が自由になった。何かの束縛を脱した。だから、頭が軽く回転するようになった・・・そう言えば、何か気取ってみたり、飾ってみたり、何らかの感情を隠して文章を書くことがない。すごく素直に言葉が出てくる。それは般若心経の世界に触れることによって、これまで眠っていた脳内のどこかが刺激されたこととも関係しているかもしれない。

きっと、こうだろう。「因」はブログを自由に書こうと決めたこと。そしてそれをすぐ実行に移していること。「縁」は、般若心経を学ぼうとして寂聴さんの講話を面白がって読んでいること。それによって脳内が活性化した「果」として、詰将棋を速く解けるようになった。

ブログを書くのを止めてみたら、詰将棋が解けなくなるかどうか、一度試してみるのもいいかもしれないな。

(5月2日、午後7時)


やっぱり、嫌いなものは嫌い

産経新聞に安倍総理大臣の単独インタビューという記事があった。「権力の監視役」という新聞の最も大切な責任を放棄している産経新聞のことだから、これは仕方がない。

でも「インタビュー」なら、質問者の質問を省略するのはいただけない。どのような質問に対してどう答えたかが重要だ。そうでなかったら、単なる権力者の宣伝にすぎなくなる。いや、まさにそのつもりの記事だな。

かと言って、産経新聞がとくに嫌いというわけではない。僕の好きな司馬遼太郎が勤めていた新聞社というイメージが強くて、たったそれだけの理由で何となく憎めない。新聞は、色々あっていいんじゃないかと思う。何かと頭の固い人たちが意地になって攻撃する朝日新聞も僕はいいと思う。

実を言うと、読売はあまり好きではない。単に読売巨人軍が好きではないという、ただそれだけの理由だ。プラスすれば、読売新聞の販売員のしつこさに辟易したということもある。人間の好き嫌いなんて、所詮その程度のものだ。

それより僕が嫌いなのは、どこの新聞、どこの放送局というより、「政治部の記者」という連中だ。今日の産経の記事も阿比留何某という政治部上がりの記者がインタビューしている。安倍さんの“お友達”の一人。だから単独インタビューができるわけで、それが政治部記者の勲章となって、社内でふんぞり返っていられるわけだ。どこのマスコミにもそういう連中はたくさんいる。

そんな連中に、権力の監視という、国民にとって非常に大事な役割を果たすことはできない。だから、“ジャーナリスト”という称号を使うこともできないと思う。というか、彼ら自身も認識しているから、そのような称号は使わないだろうが・・・

アメリカの新聞やテレビの多くは日本とはだいぶ違う。権力者にインタビューするときは、ズバリ、相手が聞かれたくないことも平気で聞く。それができなければ記者、ジャーナリストとしてはお払い箱だ。だからトランプ大統領は自分の影響力が及ばない公平な新聞やテレビが大嫌いだ。ニューヨークタイムスとかCNNとか。


日本のマスコミの政治部記者にも立派な人はたくさんいるから、ちょっと失礼なことを書いているかもしれない。でも、失礼でもなんでもなくて書けるのは権力者に対してだ。僕はやっぱり安倍さんは嫌いだな。どうして嫌いなのか、いろいろと考えてみた。

自民党という政党は嫌いな政党ではない。20代のころは、労働組合員として強制されたわけでもないのに選挙では社会党に投票していた。30代になると自民党に鞍替えした。もともと祖父が保守政党の政治家だったこともあり、どちらかというと自民党に親近感があったことも理由のひとつ。衆院選挙で石原慎太郎に投票したこともあった。

さて、安倍さんのことがどうしても好きになれない理由。

まず、彼の国会での答弁の言葉や態度。重要な問題ではまともに答えようとしないことが多い。それは歴代首相もその傾向が避けられない。しかし安倍さんは議論をすり替えて相手を攻撃する。度量のなさが目立つ。彼が野党に対して浴びせる品のない野次。そして街頭でも、批判する国民に「あんな人たちに・・・」という敵意丸出しの言葉を浴びせる。

つまり、安倍さんの人格が総理大臣にあたいするかどうか、僕は常々疑問に思っているわけだ。国民の半分くらいは「値する」と思っていることは知っている。

視聴率の低い国会中継をテレビでよく見ると、安倍さんがどういう人かよく分かる。与党にも野党にも、同類が多いと思うけど(笑)。品のなさが出るのは、いつもというわけじゃなく、たまにだけどね。それが強く印象付けられるわけだ。

それにどう考えても教養のある人ではない。最近でも、「誇りある日本の輝かしい未来」とか「輝かしい令和の時代」とか、「人々が美しく心を寄せ合う日本」とか、やたらと「輝かしい」「美しい」を連発する。それらの言葉自体は何も悪いものではないが、日ごろ品のない言動をしている安倍さんが言うと、途端に言葉の品格が落ちる。

次は、「嫌い」と言う感情を惹起させる理由とは少し違うが、総理大臣としての実績の問題だ。これについては色々な評価が存在するとは思うが、僕は超辛口だ。安倍さんは在任期間に関しては超一流だが、実績については二流以下だと思う。

たとえば、古いところでは吉田茂。戦後、アメリカとの難しい交渉を乗り切って講和を結んだ。池田勇人。「所得倍増計画」は大風呂敷でも何でもなく、戦後の経済成長を軌道に乗せた。佐藤栄作は沖縄返還だったかな。

お次は田中角栄。「日本列島改造論」ではなく、日中国交正常化という大事業を成し遂げた。中曽根康弘。言うまでもなく問題の巣窟だった国鉄を民営化した。この事業は郵政民営化の比ではなかったと思う。行革も印象深い。橋本龍太郎。省庁再編。税制改革もライフワークだった。

竹下登。消費税の導入。国家の大計を考えられる人物だったようだ。そのあと、誰かいる?国家のために実績をあげた総理大臣がいるかなあ?小泉純一郎は人間的で好きだけど、郵政民営化は大したことなかったな。そして安倍さん・・・

アベノミクスは無に等しい。いろいろな数字をその前の民主党政権と比較して声高に言うけれど、いかにも器の小さい安倍さんらしい強弁に過ぎない。人の批判ばかりする、ほんとに器の小さい人だと思う。憲法に自衛隊を明記したい?本当に情熱を感じさせるものがある?

「スタンフォードの監獄実験」というのがあるそうだ。アメリカのスタンフォード大学が刑務所で行った社会実験で、罪を犯していない一般市民を受刑者と看守の2つのグループに分け、しばらく監獄にいてもらい、態度の変化があらわれるかどうか実験した。

すると、看守のグループに入った人たちは、時間の経過とともに、いかにも看守らしく受刑者を見下すようになり、相手が一般市民だと分かっているのに横柄で高慢な言動が目立つようになったという。これは、刑務所に看守を監視したり、監査する人間がいないと、看守の態度が高圧的になってしまうことを証明した。

もし政権の監視役、監査役がいなくなったら、権力はどのように変化していくだろうか。「安倍一強」という言葉はマスコミが作り出した一種のイメージ操作だが、権力を監視する役割のメディアが権力とお友達になろうとすると、国家は国民はどうなるだろうか。このような恐ろしい現実を見させられているから、安倍さんのことが好きになれない。そう、それが一番の理由かもしれない。

(5月3日、午前11時半)





バッシングの時代

「経済成長が見込めないこの時代、人々は周りを差別し、
自分が優位に立つことでしか満足を得られないのでしょう。
類型にはまらない人へのバッシングがすごいです。
・・・・・
バッシングされないためには、なるべく目立たずに大人しく生きるか、
それを凌ぐ価値を提供するかし続けなければならず、
時々心底疲れます。・・・・・」

これは、日本人のある女性から最近送られてきた長いメールの一部だ。

彼女との出会いは20年近く前に遡る。仮にケイ子さんとしておこうか。ケイ子さんは大学教授の娘さんで、ご本人も某有名大学の大学院で物理学を研究していた才女だ。それだけではなく、美貌と美声に恵まれ、音楽大学を出ていないにもかかわらず、20代からオペラの舞台にも立ってきた。

7年前に僕がタイに移住したあと、5年ほど前に二度目の帰国をしたとき、忙しい中を空港まで彼女が見送りに来てくれたのを最後に会っていない。メールのやりとりも数年前から途絶えていたが、ひょんなことから昨年の暮れから再び近況を伝え合うようになった。

ケイ子さんは、ある理系の研究所でアルバイトしていたとき、バイトという身分にもかかわらず論文を書いて高い評価を得た。これは僕の想像だが、その後、研究所の人たちから何らかのバッシングを受けたのかもしれない。仕事の場面で、男は出来のいい相手を妬む習性がある。「自分を差し置いて、どうしてバイトの女に論文を書かせるんだ」というような。

ケイ子さんはそのあと、いくつかの職場を転々とした。40代に入った今は、ある会社でプロジェクト・マネージャーのような立場にいる。仕事は自分の実力を発揮できるので充実しているようだが、やはり周囲からバッシングを受けているようだ。「類型にはまらない人へのバッシング」とは、きっと自分に対するバッシングだと思う。

実はケイ子さんは19歳のときに、ある難病と診断された。外見を見ただけでは分からないが、ずっと病気とも戦ってきた。彼女によると、日本では「病人に対するバッシング」があって、それはその病気の人間にしか理解されないらしい。競争に勝ってきた強者への妬みと同時に、弱者へのバッシングが日本の社会には厳然とある。学校でのイジメも大人社会のバッシングと同根かもしれない。

さらに、もうひとつ。ケイ子さんは美貌の持ち主だから男にもてる。自然の成り行きかどうか、「恋多き女」だ。しかし結婚はしていない。彼女によると、日本の社会には「独身の女へのバッシング」もあるのだという。美人だから余計にそうなのだろう。4回も結婚している男性の僕にはなかなか想像がつきにくい。

「人々は周りを差別し、自分が優位に立つことでしか満足を得られない」と彼女は言う。

人のアラを見つけて、殊更に、針小棒大にあげつらう。相手が慌てたり困っているのを見て満足感に浸る。そのようなネガティブな行為によってしか満足を得られない人間が増えている・・・ネット社会の進展は、顔の見えない人間同士でこれをより深刻なものにしている。

人の不倫に大騒ぎする。政治家のちょっとした失言を待ち構えている。そこまでしなくてもいいのに、鬼の首を取ったように徹底的に追い詰める。情け容赦のカケラもない。日本は「美しく心を寄せ合う」ような社会ではなくなっている。きれいごとを言っている場合ではない。

皇室の問題でも然り。ここ数日はお祭り騒ぎをしているが、はじめは小室さんへのバッシングだったのが、いつの間にか秋篠宮家へのバッシングになりつつある。どうしてそっと見守ることができないのだろうか。マッチポンプのような国民性に変わってしまったのだろうか。いや、元々そうだという見方もあるが、それほど病んだ社会ではなかったような気がする。

人の不幸をみて喜ぶ社会。自分が幸せでないと自覚している人は他者の不幸をみて気を紛らわす。どんどん心はネガティブに、どんどん不幸せに突進していく。日本の社会に蔓延している、そういう負の側面から目を逸らしてはいけないと思う。

こういうことを書いていると、自分までネガティブな心理状態になっていくから、楽しい般若心経の勉強で切り替えよう。

(5月4日、午後4時)


人には我慢の限界というものがある

軽微なスピード違反、駐車違反、またスピード違反・・・これを繰り返していると「免停」となって講習を受けなければならない。自分の記憶に間違えがなければ、僕は20代の頃に1回だけ免停をくらったことがある。

ところが同じスピード違反でも、制限速度をあまりにもオーバーすると「免許取消し」となることがある。たいていその前に何らかの違反が累積していた場合だ。

昨夜も彼女の帰りが遅かった。朝8時頃に仕事に行ったから、そんなに遅くなるとは思っていなかった。さすがに夜も8時を過ぎるとお腹が空いてくる。何度もLINEした。音声通話をしようとしても何の反応もないので電話もした。まったく応答がない。

いつもなら、「もうすぐ帰りますから」くらいの返事は来る。適当な返事で信用できないけれど、ないよりはいい。何もないと心配になってくる。バイクで出かけているから、不測の事態が頭をよぎる。本当に何かあった場合、誰かが僕に連絡してくれるだろうか?だんだん不安が高じてくる。

とは言え、お腹が空くのは生理現象。だから抗えない。近所のスーパーは10時まで開いているので、食料を仕入れに車で家を出た。9時を過ぎていた。

売れ残りの総菜とビールを買って家に戻ったら、ちゃんとバイクがあるではないか。「よかった、無事だった。生きていた!」そう胸をなでおろして家の中に入ったら、彼女はソファーでケータイをいじっていた。僕の方を見向きもしない。「もうご飯食べたの?」とも、「どこ行ってたの?」とも聞かない。無視だ。

最近寂聴さんに師事して般若心経を学んでいる効果だろうか、以前ほどは腹が立たなかった。「まあ仕方がないさ。無事で帰ってきたんだから・・・」と思い込もうと一生懸命自分の感情を押さえ込んだ。でも、何にも言わないのも変なので、「今まで何処さ行ってたの?」と、できるだけ平静を装って聞いてみた。

「家の前にずっといましたよ」

家の前って・・・?

「家の前まで来て、どうして家に入らなかったの?」と聞くのは自然な成り行き。

「外で涼んでました」

「何時に家の前まで戻ってきたの?」

「さあ、1時間くらい前かしら」

「へえ、そんなに亭主の顔を見るのがいやなのか?」

ついに押さえ込んでいた感情が爆発しそうだ。般若心経どころではない。嘘つきとは一緒に居られない。それでも懸命に堪えて話を続けた。

「仕事は何時に終わったの?」

「午後1時くらいかしらね」

「へえー、そのあと8時間くらい、どこで何をしていたの?」

もう馬鹿らしくなってきた。昨夜のやり取りではなく、これを書いていること自体が。彼女の言うことは、どれもこれも何かを胡麻化しているとしか思えない。

「帰りが遅くなることは構わないよ。友達と遊ぶのも構わないよ。でも遅くなるんなら、ちゃんと連絡しなさい。じゃないと心配になるだろ。総菜を買ってくるのか、買わないのか、それも言いなさい。何も食べずに亭主が帰りを待ってるんだから。それとも、あんたには何にも関係ないのか?多分、亭主のことは何も考えてないのだろう・・・」

帰りが遅いだけじゃない。数か月前までキチンとやってくれていた朝の家事をあまりしなくなった。掃除をしない。洗濯もしない。僕の朝ご飯をちゃんと用意してくれない。犬の餌やりも忘れていることが多くなった。この変化は何だろう・・・さては外に男でもできたのか?

そろそろ沸点が近づいてきた。いろいろ諭すつもりで言ってみたが、彼女の顔には反省の色もなく、「もう、うるさい人ね」としか書いてない。実際、あきれたような唸り声だけ発している。「うー、うー」って、犬の不機嫌な時の唸り声と一緒だ。

「ボクはそろそろ我慢の限界だよ。明日にでも離婚しようか」

これは真面目な提案のつもりだった。離婚と言う言葉を使ったのは多分初めてのような気がする。

すると彼女はいつものように慌てた。昨夜も同じパターンだった。急に「ごめんなさい」と言って、近くにすり寄ってきた。でも無視してやった。

明け方になって一発、いや一発では済まなくて、二発、お勤めをしてやった。それが令和最初のお勤めだった。右膝の痛みはまだ直っていないが、あまり関係ないことが分かった。クスリなんて使わなくても、まだまだ二発いけることが分かったのは収穫だった。

終わったあと、カッコつけて彼女に言ってやった。

「夫婦と言うものはな、セックスが一番大事じゃないんだよ。お前は何か勘違いしてないか?セックスなんて、誰とでもできるんだよ」

今日も彼女は予約があったので、朝7時から仕事に出かけた。仕事中に、音声通話ではなくて、LINEのビデオ通話をしてきた。ゴルフ場の中を歩きながら、かけてきた。

「何だい?」

「別に何もありません。・・・キットゥング・・・」

ガサゴソという音だけがやけに耳に残った。歩いている音なのか、ゴルフバッグを載せているカートを引き摺る音なのか。お客さんがいるのにビデオ通話をかけてきたのだろうか・・・


(5月5日、午前11時半)


さすがに薬が効いたかな?

「正、反、合」という、3つのワードでよく説明されるヘーゲルの弁証法。ウイキペディアから部分的に引用しよう。

「全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが同時にまさにその対立によって互いに結びついている。最後には二つがアウフヘーベン(止揚)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。しかしアウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた保存されているのである。」

僕と彼女の関係を理解するのに弁証法は欠かせない。「愛し合う」が正、「愛想をつかす」が反、その2つがアウフヘーベンされるとどうなるか。そのように考えると、僕たちが愛し合ったり歪み合ったりしながら、結局どうなっていくのかが予想できる。

もう何度も喧嘩している。おそらく1か月に2、3度の割合で、最近は僕の方は本気で離婚まで考えるに至っている。

いっそのこと別れてしまった方が楽だ。チェンマイで別の女を探してもいいし、何なら1人で暮らした方がよほど気が楽で、充実した毎日を過ごせるかもしれない。何よりも、お金が自由に使えるから、もっと贅沢もできる。いざとなれば日本に帰国したっていい。自分の東京の家は、とっくに前の前の奥さんにあげているが、住むところなんて、そんなものどうにでもなる。女だって・・・

喧嘩のときは、判で押したようにこのような心境になる。突飛な考えではない。現実的だ。彼女の方が「じゃあ別れましょう」と言えば、すぐそうするだろう。

ところが彼女は、なぜだか知らないが僕と別れたがらない。「出ていけ!」「別の男を探せ!」と何回言ってきたことか。一昨日はついに「離婚しよう」とまで言った。脅しではなく、その瞬間の本心だ。彼女は笑って受け流すことはできなかった。僕の方が悪いことをしたわけではないから、自分から「ごめんなさい」と謝って、その場をおさめることしか彼女には思いつかないのだ。

亡くなった前妻の場合は、本格的な夫婦喧嘩になるのは僕の方に非があるときだった。僕から「出ていけ!」と言うことは、結婚した後は一度もなかった。逆に、いろいろなモノが飛んできて痛い目に遭うことはあった。ただし、それもテレビのリモコンどまりで、包丁は飛んでこなかった。

昨日は彼女は早く帰ってきた。夕方になると市場へ買い物に行き、台所に立って夕食の準備をした。今朝はフルーツジュースとゆで卵を準備して出かけて行った。昨夜の残りの肉が冷蔵庫に入っていたので、パンと合わせて朝食には困らなかった。洗濯はしていないが、犬には餌をやってから仕事に行った。

僕にはいくつかの選択肢があるのに、彼女には僕と別れてどうするかという目途が立たないのだろう。31歳の女。まだ若い部類だし、それなりの色気もある。一見性格もよさそうに見えるので(笑)、別の男を探そうとすれば見つかると思うのだが、僕が思うほど簡単なものではないのかもしれない。

愛し合う、歪み合う、その繰り返しは決して同じことの繰り返しではない。昨日書いたように、交通違反の累積点のように、ある日免許取り消しとなるかもしれないし、次元は異なるがヘーゲルの弁証法のように、正反対のものを内包したまま、別の高みへ<止揚>され、ゆるぎない夫婦へと変貌していくのかもしれない。神のみぞ知る、だ。

(5月6日、12時半)


幽閉されているも同然の一週間

右膝を痛めてから一週間がたった。一度だけ、車で3分のスーパーへ買いものに出かけた以外は、まったく外出していない。歩いてもほとんど痛みは感じなくなったが、階段の昇り降りはまだ少し痛む。あと4~5日で完治というところだろうか。

そんなわけで、家での楽しみは読書以外では将棋のテレビ観戦くらいになってしまう。今日は将棋の名人戦の生放送を朝から夕方まで見た。

名人戦のような大きなタイトル戦は持ち時間が長い。すぐには指さずに、一手一手の間隔が長くなる。その間は、解説者の男性棋士と聞き手の女流棋士のたわいのないトークが延々と続く。食べ物の話だったり、趣味の話だったり、棋士たちのエピソードだったり・・・。それが面白い時は、将棋そっちのけで聞き入ることもあれば、馬鹿らしくなって見るのを打ち切ってしまうこともある。今日はまずまずだった。

名人戦の賞金は2000万円を超える。プロである以上、賞金狙いは当然だ。一応建前は、「内容のある、いい将棋を指したい」とみんな言う。でも、高額賞金がかかっているがゆえに、頭をフル回転させて慎重に手を選んでいることは間違いない。

たった一手の間違いで優勢な将棋の勝ちを逃し、もうちょっとのところでタイトルを取れなかったりすると、その精神的なダメージは相当なものだと思う。でもそれは賞金を逃したという悔しさとは、多分違う次元のものだと思う。そういう真剣勝負だからこそ、見ている方は2人の勝負の世界に引きずり込まれていく。

自分が人間を相手に勝負すると、負けるのが悔しいから、今はめったにやらない。以前はインターネット上で知らない人と対局したことがあるが、「待った」はできないから、一手間違えると途端にやる気が失せて負けてしまう。素人でも負けるとかなりのストレスになる。だから、精神衛生上よろしくないので止めてしまった。今はコンピューターが相手だ。機械が相手だと、負けても悔しくないのだ。人間にはそういう性質があるようだ。それとも単に僕の性格だろうか・・・

そう言えば、毎日コンピューターで詰将棋をやっているが、なかなか解けないとストレスになる。ところが短い時間で正解するとスッとする。ボケ防止に詰将棋はピッタリだ。10秒とか30秒とか、ほぼ瞬間的に解けたときの“快感”は格別だ。お勤めのときの快感は一瞬だが、詰将棋の快感には余韻が残る。ただし、終わりまで行けなかった時のストレスはどっこいどっこいだな。

(5月7日、午後6時)


今回も空振り三振だった

またお金をせびりに来た。

今度は74歳のお父さんの生命保険の掛け金。タイの生命保険の相場がどれくらいか知らないから、本当のことを言ってるかどうかすら判断できない。掛け金は年間8000バーツで、お姉さんと折半してきたが、現在二人とも金欠だとか。

おいおい、去年は父親の保険のことで僕に泣きついてきた記憶はない。自分たちで何とかしたはずだ。調子に乗って僕にたかろうという魂胆だろうか。きっとそうに違いないことは分かっている。

でもシツコイ。ここ数日、毎日毎日「8000バーツ振り込んで頂戴」と言われていると、本当にうんざりする。余りにしつこいので「じゃあ4000バーツあげるよ」と妥協したら、向こうは譲らなくて、「8000バーツ攻撃」をやめない。金欠はこっちだよ。

そこで、いよいよ決心した。お金の無心に答えてやるのはこれを最後にしよう。もし次もお金の要求をしてきたら、ホントにお別れ、バイバイ、さようなら。ということで、昨日の朝、8000バーツをくれてやった。

そしたら・・・・仕事はないのにお昼過に家を出て行ったあと、なかなか帰って来ない。7時、8時・・・やっと夜8時半に帰ってきたのはいい。それから晩御飯を一緒に食べたのもいい。彼女はビールを飲まなかったのもいいけれど・・・

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食事が終わった途端、この格好。暑い暑いというのはお互い様。このあられもない姿は初めて見た。モザイクで隠したけれど、自分でブラジャーをずらして小さいおっぱい丸出し。すぐに犬のチビが添い寝するのは許すとして、そんなに暑いというならエアコンのある寝室へ行けばいいだろうに。さすがにこれを目にして欲情し、おっぱいをチュッチュと吸ってみたら、犬が「ダメ!ボクの恋人に何をする!」と邪魔をした。

よーし、寝室でキツ~イ1発と思って待っていたが一向に上がって来ない。1時間、2時間・・・いい加減に馬鹿らしくなった。自分は何をしているんだろう。お金ばかり搾り取られて、しかも彼女は昼間何をしているか分かったものではない。いつも仕事か、仕事でない時は、女友達と会いに行くと言って出掛けるが、判で押したように帰りは夜だ。

「僕たち、もう終わりだね」とLINEに書いて送った。2階の寝室から、1階で寝ている彼女に。そして寝室のカギを中からかけた。お金をあげた途端に遊びに行って夜帰ってくる。何回も何回も同じことの繰り返しだ。ここらで終わりにしてもいいかな、と急に思い立ってカギをかけた。

よく考えてみれば、彼女と一緒になったのは僕の意思だ。必ずしも彼女が積極的だったわけでもない。「5年くらいして、自分たちの家が出来てから一緒に暮らしましょうね」と彼女は言っていた。それを押しの一手で結婚に持ち込んだのは僕の方だ。

前妻が死んでしまって精神的に参っていた時期だった。多分、目の前にいる女なら、誰でもよかったのかもしれない。一人でいることが耐えられなかったのだ。要するに、自分は女を見る目がなかったということ。女の本性を見抜けなかっただけだ。彼女に責任があるわけではない。自業自得だ。

そんなことを思いながら、寝ようとしてもなかなか寝付けない。そのうち午前も0時を過ぎたころに彼女は2階に上がってきた。でもドアにはカギがかかっている。寝室に通じているシャワールームのカギもかけた・・・はずだったのに・・・彼女はシャワールームから部屋に入ってきた。しまった、カギをちゃんとかけてなかった。

彼女は悠然とシャワーを浴び、ベッドにいつものように入ってきた。

「僕たち、もう終わりだね」と書いたのは1時間半くらい前だった。でも彼女が平然として僕の横に滑り込んでくると、もうどうしようもない。カギの掛け損ないが失敗だった。いやはや「性欲」というものさえなければ、とっくに別れているに違いない。毎回おなじことを繰り返しているではないか・・・

今朝、彼女は「『僕たち、もう終わりだね』ってどういう意味ですか?」とポツリと言った。ちゃんと覚えていたようだ。思い切って言ってやった。「新しい男が出来たんじゃないの・・・」と顔を覗き込みながら言ってやった。彼女は表情一つ変えずに僕の言葉を聞いていた。一言も言葉を発しなかった。

今日は右膝の痛みがほぼおさまったので、その直後に久しぶりにゴルフの練習に出掛けた。途中、彼女からLINEが入ってきた。言葉はたった一言だけで、あとは悲しんでいるスタンプや泣いているスタンプが並んでいた。

「あなたを愛してます」

言い訳がましいことや、不平不満を何も書かないところは、案外利口な女なのかもしれない。僕の方は、セックスと引き換えに魂を売り渡しているのかもしれない。今回も「別れよう」は空振りだった。彼女は今日も友達に会いに行ったが、午後3時半に帰ってきた。

(5月9日、午後4時)


ブログ村“離脱開始”から10日目

通りすがりに読まれるのではなく、読みたい人だけに読んでもらいたい。そうすれば、伸び伸びと誰憚ることなく自分の心情や考えを書けるだろう。それこそ本当の日記だ。そんな思いでブログ村からの離脱を開始して10日になる。

はじめの数日は殆ど変化がなかったが、1週間も経つと劇的に効果が出てきた。

まず、INポイントはゼロの日が増えた。それは当たり前だ。ブログ村へのバナーを撤去したので、ポチっと押すことができない。たまに押す人がいるとしても、それは4月30日以前の記事のバナーを押しているわけだ。さきほど見たら順位は4月の2位、3位くらいから急転落していて、現在40位くらい。早くランキング100位からも姿を消してもらいたい。

残念ながらOUTポイントは、誰かがブログ村から記事にアクセスすると自動的に付く。だから、なかなか減らない。現在まだ1位だけど、来週は間違いなく誰かにその座を明け渡すことになるはずだ。めでたし、めでたし。

僕がチェックするのはブログの順位ではない。どこかのランキングサイトを経由するしないに拘わらず、どれくらい僕のブログにアクセスする人がいるのか。それは気にするなと言っても無理。何人くらい読んでくれてるのかな?これはすごく気になる。午前9時半現在の様子を見た。

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FC2ブログは毎日アクセス数が分かるようになっている。これでみると、5月1日からの3日間は400人近い人がアクセスした。同じ人の重複アクセスもカウントすると、1,000回以上だ。とくに5月2日の1,470アクセスは、このブログを開設して以来の最高の数字だった。


これを見ると、ブログ村のOUTポイントと軌を一にして、アクセス数は少しずつ減ってきている。当たり前だ。ブログ村経由のアクセスが一番多いはずだから、ランキングが下がってくるとトータルのアクセスも減る。

あと1か月くらいしてからこれを見ると、ブログ村の順位に関係なく僕のブログを見てくれる読者がどれくらいの数か把握できるかもしれない。希望としては、100人未満、数十人程度の固定的で継続的な読者がいてほしい。それが分かれば、思いっきり過激なブログへとシフトしようと思っている。

今は、僕にしてみれば相当マイルドなブログだと思っている。刺激的な画像もほとんどないし、表現も極めて穏便だと思う。取り上げるテーマも家庭内のことが殆どだ。人の悪口を書くとしても、せいぜい権力者どまり。

権力者を仮借なく批判できるのが民主主義社会のいいところで、それができなくなると言論の自由が姿を消し、暗黒の社会に逆戻りする。どうも最近の日本は、暗闇の方が好きになってきた人が増えているような気がするな。しかもそれに気付いていないようだから、なおさら怖い。

ワシントンの米中関税協議、昨日から注視している。これは僕の生活に直結しているから、他人事では済まされない。もちろん世界中の人々が多かれ少なかれ影響を受ける。トランプはゲーム感覚でやってるかもしれない。それも恐ろしい。

(5月10日、午前10時)



珍しく二日酔いだ

昨日は昼にビールを1本。普段はだいたいLEOを飲む。何でもいいんだけど、彼女が買ってくるのはLEOが多い。

滅多にないが、朝から飲んだこともある。アルコールを朝から体に入れるようになると、それはアル中の兆候だと言われている。でも1か月に1回くらいだから、アル中とは全然縁がないと自分では思っている。

問題は夜。

彼女はまた帰りが遅かった。「今、市場にいます」とLINEしてきてから、家に戻ってくるまで1時間半。バイクで5分の距離だ。しかも買ってきたのは総菜2品とビール3本だけ。1時間半もかかるわけはない。どうして見え透いた嘘をつくのか、僕には理解できない。厳しく追及しても口を割るような女ではない。

彼女はご飯を食べなかった。外で誰かと食べてきた。Mがチェンマイに居たころは、こんなことはなかった。夕方Mのバイクで市場に行き、家に戻ってくるのはだいたい6時頃だった。Mが故郷に帰ってしまったので、彼女にバイクを買い与えた。それから生活がおかしくなってきた。

飲んでバイクを運転するのはよくない。その点だけは厳しく注意した。「事故で病院に運び込まれても行かないよ。警察に捕まっても助けてあげないよ」・・・

昨夜は彼女がいるのに1人でご飯を食べた。とりあえずビールを1本。そのあと濃い水割りを3杯飲んだ。そして寝る前に缶ビール。寝たのは12時を過ぎていた。また彼女が1階で寝入ってしまったからだ。今度はブラジャーをずらさずに寝ていた。


若い頃も毎晩飲んだ。こんな少ない量ではなかった。たまに店で上司と仕事上の口論になり、「おい、表へ出ろ!」と言われたこともある。前の晩の行動を覚えていないこともあったし、コンタクトレンズをどこかでなくし、朝まで気づかなかったこともある。二日酔いなんて日常茶飯のことで、それを気にすることもなかった。

北海道の札幌に勤務していた30代の前半は仕事もよくしたが、飲むのと女遊びも人生で最高潮の4年間だった。空が白むまで飲んで、そのまま早朝ボーリングをし、家に帰らずに会社へ出勤する。そんなことがよくあった。徹夜で仕事することの多かった若かりし頃。あの頃は遊びでも徹夜をよくした。


あと2年で70歳ともなると、アルコールを分解する肝臓の能力も衰えてくるのだろうか?若い頃と違って、酔うことはほぼないのだけれど、一日ビール2~3本+水割り3~4杯で寝苦しさを感じるようになった。アルコールの毒素がまだ体の中に残存していることが感じられるのだ。日ごろ飲む量が昔と比べて少なくなったので、ちょっと量が増えるとそれに対応できないのかもしれない。

二日酔い。もうこの歳になると御免蒙りたい。水割りを1杯減らすか、それとも薄めに作ればいいだけの話。寝る直前のビールをやめればいいだけの話。でも、それが簡単にできないからアルコールは厄介なのだ。

(5月11日、午前10時50分)


局面打開に意欲を見せ始めた彼女

昨日の昼間のこと。最近僕が「新しい男ができたんだろ?」と何度も決めつけるので、彼女もだいぶ気にしているようだ。二日酔いのことをブログに書いていたら、2階に上がってきて話をし始めた。

「ワタシって、性格の悪い女ですよね。それに、まるで子供みたいなところもあるし。アナタはもう飽きてきたのかしらね・・・」

パソコンに向かっている僕の背中側から手を回してきて、甘えた声で会話を始めた。スキンシップしながら話すのはいいことだ。そうすれば何を話していても喧嘩になることはない。それに、お金の無心のときの声とはずいぶん違った。謙虚な、控えめな女を演出して迫ってきた。

「ワタシ、他に男はいません。でも女友達と遊んでばかりいて、あなたから愛想をつかされてるんですね」

「そうだよ。毎晩キミの帰りを犬と一緒に待ってるんだよ。キミが付き合ってる女は、みんな旦那さんがいないじゃないか。キミ一人だけ独身じゃなくて旦那がいるんだよ。自分が結婚していることを忘れてるんじゃないかい?」

いつもの詰問調ではなく、できるだけ優しい声を出してゆっくり会話した。彼女はずっと僕の体に触っている。至近距離にいると感情が激することはない。彼女は生理中なので、そのままベッドになだれ込むようなことはないが、いつの間にか、お互いに相手の胸を直に触って愛撫し合っている。

彼女に男がいるのか、いないのか、細心の注意を払って相手の言葉を聞き、僕が質問したときの表情の変化を見ようとした。残念ながら、男がいないという絶対的な確信は持てなかったが、もしいれば、きっとその話題は自分からは避けるに違いないと考えた。

「生活を少し切り詰めて、一緒に旅行しましょう・・・」

彼女は僕と二人で旅行することで、関係を修復しようと考えているようだ。このままでは、いつの日か本当に破局にいたるのではないかと、ようやく自覚し始めたのかもしれない。

勿論僕も、彼女のことを本当に疑っているわけではない。でも、亭主をないがしろにするのをいい加減にしろ、という気持ちは非常に強い。このままいくと別れる日が近いのではないか、という思いが日に日に募っていることも事実だ。

最近の彼女が“お勤め”以外の、妻としての役割を軽視していることは間違いない。だからと言って、「すぐに離婚」というのは余りにも極端で突拍子もないことくらいは僕も分かっている。でも、もうちょっと早く帰ってきてほしいなあ。

「僕も一日中外へ遊びに行ってもいいかい?僕の場合は多分真夜中に帰ってくるけど、それでもいいかい?」

「それはダメです」

「じゃあ、昼間に愛人を作ってもいいかい?」

「絶対にダメです」

彼女と会話して「男ができたかもしれない」という疑念はほぼ晴れたので、いつもの半分本気、半分冗談の“愛人問答”となった。でも愛人を作るなんて、そんな面倒くさいこと、今更本気でやりたいわけはない。

(5月12日、午前7時30分)


小さい恋人たちの思い出

小さい頃、僕には友達がほとんどいなかった。親が忘れていて幼稚園に行かなかったからだ。だから遊び友達ができたのは小学校へ入ってから。ところが、小学校の低学年の頃は同じクラスに男の子も半分くらいいたはずなのに、女の子と遊んだ記憶しかない。

1年生の時にできた友達は山中さん。苗字は覚えているが名は忘れた。学校が終わるといつも二人で手をつないで帰った。学校にいるときもいつも一緒。まるで恋人同士のように寄り添っていた。あれを“初恋”と呼んでいいものかどうか、よく分からない。ちょっと外人のような顔つきをした愛らしい子だった。

2年のときにクラス替えがあった。初恋の山中さんとは疎遠になり、今度は庸子さんと仲良くなった。教室の中で、僕の方からイチャつくことが多かった。とくに冬はセーターを着ているので、抱き付くとフワフワして気持ちいい。庸子さんはガッシリして肉付きの良い体格だった。その感触を今でもはっきり覚えている。もし大人だったら大変だ。庸子さんの方は僕の行為をどう受け止めていいのか、いつも戸惑った表情をしていた。

ある日、庸子さんの誕生日に家へ呼ばれた。僕の家からは少し離れていた。間口は狭いが奥行きのある、いかにも京都風の家だった。来ていたのは女の子が5~6人で、男は僕一人だった。

さて次の恋人は芳子さん。小柄でお人形さんのような子だった。庸子さんとダブっていたかどうか、あるいは順序が逆なのか、その辺の記憶はどうもはっきりしない。芳子さんの家は由緒のありそうな和風建築の立派な家だった。日本風のお庭が綺麗で、大きな木が何本もあった。

ちょうどその頃、僕は腎臓の病気になって、1か月ほど学校を休んだ。クラスのみんなから手紙をもらった。「早くよくなってね」という文面が多かったのだが、それに加えて「彼女がさみしがってるよ」という内容の手紙もあった。その中の一つ、「よしこがまっとうるぞ」という男の子の文面は正確に記憶している。芳子さん本人からの手紙の内容はまったく覚えていない。


日本の高度経済成長がピークに達しつつあった小学校5年生の時に僕は転校した。父が借金して買った小さな家の土地がえらく値上がりしたので、それを売って大きめの家を郊外に建てたからだ。それでまた同じ小学校に通う女友達ができた。

今度は慶子さんという名前で、いつも家に遊びに行った。もう芳子さんとも庸子さんとも会うことはなかった。二人が仲良くしているので、慶子さんのお母さんは「この二人が将来一緒になるといいわね」と僕の母親に言ったらしい。母もそれに同調して「慶子さんはきっと綺麗なお嫁さんになるわ」と言っていたのを覚えている。

ところが、高校生になったときのこと。転校前の最初の小学校の学区の生徒が、自分の入った公立高校に通えるよう学区が変更された。

高校2年の時、以前抱きついたことのある庸子さんと同じクラスになった。庸子さんは小学校の時からグラマーな体形だったが、ますます豊満な体つきになっていた。それはいいとして、彼女は地味で目立たない子で、1年間僕に声を掛けることもなかったし、僕の方から話しかけた記憶もない。当時は別の女の子に少し興味を持っていたからだろう。でも、僕が小学生の頃のことをはっきり覚えていたように、彼女も少し意識していた様子は窺えた。

そしてお庭が広くて綺麗な家に住んでいた芳子さん。同じクラスにこそならなかったが、3年生の時、古典の授業だけ同じ教室になった。芳子さんはスラッとした美人に成長していて、テニス部に所属していた。遠目に見て、「一緒に遊んだことを彼女も覚えているかな・・・」と考えたことはあったが、僕の方から近付く気は全然起きなかった。

そして3年生最後の期末テストのときだった。もう同じ教室で芳子さんを目にすることはないはずだ。だから、ちょっとだけ彼女を意識した。芳子さんは僕と同じ列の少し前の方でテストを受けていた。僕は最後列にいた。試験の時間が終了する数分前、芳子さんは答案を提出して、教室の後ろの扉から出ようとした。

僕と芳子さんの目が初めて合った。今思い出しても目がパッチリした素敵な女性になっていた。彼女は教室を出る直前、僕に初めて話しかけてきた。

「あの~、扉をあけてくれますか・・・」

どうして自分で開けないで、僕にそう言ったのか、いまだに不思議でならない。扉を開けるのにそんなに力はいらないはずだ。僕は言われるままに扉を開けてあげた。そして芳子さんは僕に会釈して先に教室を出て行った。そのころ日本では、あちこちで大学紛争の嵐が吹き荒れ、東大では安田講堂事件が起きていた。


小学生の頃の恋人たちのなかで一番印象に残っているのは、僕に突然言葉をかけて視界から消え去った芳子さんだ。やはり美人は印象に残るものだ。それはいいとして、山中さんも、庸子さんも、慶子さんも、そして芳子さんも、みんな幸せな人生を送っているのだろうか・・・いまもし会ったりすれば、懐かしく昔のことを語り合えるのだろうか・・・

僕の女好きの性質は、生まれつきと言うよりも、たぶん小学生のときに培われたのだと思う。

(5月12日、午後12時10分)


やっとこさ雨季の本番か

深夜も2時を過ぎたころ、外でジワジワと大きくなってくる音で目が覚めた。雨だ。風も吹き始めた。雨の勢いは急に増して、嵐のような轟音に変化し始めた。

「そう言えば2匹の犬たちは今日は外で寝てるんだっけ?」そう気が付くと、慌てて1階に降りて行った。毎日夜中も異常な暑さが続いている。犬たちが寝苦しそうにしていたので、彼女が外へ出してカギをかけたのだった。「ガレージで寝ているはずだが、この雨と風ではびしょ濡れに違いない」

1階のリビングから外を見ると、激しい風に煽られて雨がまさに滝のように殴りかかっている。犬はどこだ。カギをあけて外に出た。

一瞬にしてパジャマの上下ともにずぶ濡れになった。2匹の犬はガレージにいたが、僕の姿を見るとすぐ寄ってきた。でも雷が鳴り始めたので怖かったのだろう。お兄さん格のチビは隅っこにある檻の下に隠れた。ところがチワワのレックレックはあちこち駆け回ってずぶ濡れだ。

とりあえずは危険はなさそうなことを確認して家の中に入った。全身が濡れているのでリビングの床がたちどころにビショビショになった。彼女が2階から降りてきて「アナタ、一体何やってるんですか」とたしなめた。まさか雨に打たれて修行するわけはないだろう。

これぞ本物の雨季の雨だ。先月も少しだけ降ったが、あれはカラスの行水のようなもので、焼け石に水だった。それに比べると昨夜の雨は大地を潤しただけではなく、確実に大気中の塵芥を洗い流してくれたようだ。朝、久しぶりにPM2.5の濃度を調べたら、見事に正常値になっていた。

毎日はいらない。2日に1回でいいので、夜中にたくさん降ってほしい。ただし、強風と雷はどうしても好きになれない。

(5月13日、午前10時40分)



「男ですか、女ですか」僕にはよく分からない

大阪の読売テレビの報道番組?で、番組内のコーナー企画のVTRを見たコメンテーターの若一光司さんが激怒し、その結果、読売テレビは関係者と視聴者に謝罪、そのコーナーは当面休止となったそうだ。男か女かよく分からない人がいるので、一体どちらなのかリポーターのお笑いコンビが確かめてみたという内容だったらしい。

番組をちゃんと見ていないので、若一さんがどの部分を許せなかったのか、はっきりとは分からない。一般人に対して「男性なのか、女性なのか」と質問し、本人の了解があったとはいえ、胸を触ってみたり、最後は免許証か何かを見せてもらって確認するというのは確かにダメだな。若一さんは「人権意識の欠如」と即座に断罪したようだ。そういう企画自体が人権を無視しているということなのかもしれない。(バラエティ番組とかでなく)報道番組の中の企画だったことも問題視したようだ。

人権問題だなんだと言う以前に、まずバカバカしい。確かに、よくもそんな“くだらない”企画が通ったものだ。企画には必ず何らかの意図、狙いがなければならないはずだから、一度プロデューサーにその企画を通した真意を聞いてみたいものだ。「狙いも意図もなく、只面白そうだったから」という答えもありうるが、それでは報道番組?のプロデューサーは失格だ。

僕は若一さんが容赦なく切り捨てた気持ちは分かる。でも、人に「性別」を聞くという行為自体が人権を蹂躙しているのだろうか?「性別」を明らかにしようとする行為そのものがアウトとすれば、「性別」というものは「秘匿するべきもの」ということにならないか?

「男か女かはプライバシーの問題だから、聞いてはいけない」・・・う~ん。僕にはいまひとつピンと来ない。新聞などの世論調査で性別を相手に聞くこともタブーになるのだろうか?それとも、メディアで性別を話題にすること自体がよろしくないとでも・・・?

それもあるが、もうひとつ不可解なのは視聴者、あるいは番組を見ていなかった人も含めた一般市民の反応だ。

「若一さん、よくぞ言ってくれた。ひどい人権無視だよね」という意見が多かった。適当にお茶を濁して、物事をオブラートに包んで終わらせようとすることが多い中、年配のオトナがはっきりと「おかしいものは、おかしい」と番組の中で意見してくれたことを称賛する声も多かった。

「あなたは男ですか?それとも女ですか?」と聞くこと自体が人権無視だと急に考えるようになった人が増えたのか?ホントにそれがおかしいことだと思っていたのだろうか?

言い方は悪いが、若一さんの尻馬に乗って意見を言っている人は、「これだけ性的少数者の人権が注目されるようになってきたのに、男だ女だという捉え方自体がもうアウト」と勘違いしているのではないだろうか。「男ですか?女ですか?」は性的少数者の気持ちを逆なでするから、もう“タブー”だと考えているのだろうか・・・本当に“逆なで”になるんだろうか。まるで「臭いものに蓋」ではないのか?

性的少数者の問題と、「あの人は男だろうか、女だろうか」という“関心”は確かにつながっている。取り上げ方によっては人権をないがしろにすることになるだろう。しかし「あなたは男ですか、女ですか?」と聞くこと自体が問題なのではない。もしそうなら、免許証にも保険証にも男女の別は入れられなくなる。社会のあらゆるところに「男ですか?、女ですか?」の問いかけは厳然として存在している。それがいけないとしたら、社会は成り立たない。学校のクラスだって、「男と女をだいたい半々にしましょう」なんて考えること自体を許さなくなったら、どうなっちゃうの?

とにかく、性的少数者の問題と、男女の区別という問題をごちゃ混ぜにして考えるのはよくない。若一さんは、番組の中で、なぜこの企画が「人権意識の欠如」なのか、その理由を話したのだろうか?企画を断罪するのはいいとして、なぜダメなのか、わかりやすく話してくれたのだろうか?コメンテーターの仕事とは、そういうことではないのだろうか。僕はよく分からないので聞いてみたい。

(5月13日、午後6時)

※コメント受付再開しました



領土は戦争して取り返すってか?アホか

「戦争しないとどうしようもなくないですか?」

一般人が酒場で言うんなら、何の問題もない。酒場の中でなくても、言うのは勝手だ。しかし、“北方領土”にビザなし訪問した日本人の中に問題児の国会議員がいて、アッと驚く発言をしたってわけだ。

90歳くらいの訪問団の団長さんを問い詰めるような形で発言したので質が悪すぎる。いつもお騒がせの日本維新の会の丸山衆議院議員。親分にまで「議員辞職に値する」と言われた。

北方4島は、第2次世界大戦が終わるまでは日本領だったことは言うまでもない。ポツダム宣言によって日本の領土から外れることが決められ、日本も無条件降伏によってそれを受託した。

それは政治的な事柄だが、問題は、当時日本人が開拓して日本人が住んでいた島々だったこと。住民は追い出されたわけだ。周辺は豊かな漁場でもあった。

戦争末期、領土的野心をあらわにしたソ連のスターリンは、アメリカのトルーマン大統領と何通かの極秘電報をやり取りしている。

正確な日付はもう忘れたが、スターリンは留萌と根室を結ぶ線の北側、つまり北海道の北半分をトルーマン大統領に要求した。しかし、トルーマンはその要求を拒否した。

代わりにトルーマンは北方4島をソビエト領とすることに同意した。つまり、スターリンの北海道への野心を挫くために、トルーマンが妥協したとも言える。そのあたりの経緯は、昭和58年に僕たちがアメリカの国立公文書館で発見したスターリンとトルーマンの極秘電報で明らかになった。


それはさておき、丸山議員は戦争というものをあまりにも軽く考えている。実相を何も知らず、何も調べず、ただただ観念的に戦争というものをとらえているのだろう。だから、戦争経験者である北方4島の元住民に対して軽はずみな言葉を吐けるのだ。

戦争がまるでゲームのようなものだと思っているのかもしれない。丸山議員だけでなく、一部の日本人は戦争について深く考えようとしない。

武力の行使が何をもたらすか、まともな政治家ならとっくに学んでいるはずだ。ロシアのプーチンのように武力で領土問題を解決しようとして、歴史に汚点を残してもいいと考える政治家が世界にどれくらいいるのだろうか・・・

専守防衛を選択した“平和国家”は夢でも何でもない。“平和ボケ”という言葉は、平和に幸せに暮らしたいと願う庶民への挑戦だ。殺したり殺されたり、破壊したり破壊されたり、それが戦争だ。戦争したから領土も失ったのだ。戦争こそ夢の中に閉じ込めておくべきだ。

(5月14日、午後9時20分)


人騒がせな「医療保険の義務化」情報

昨年から、タイにロングステーする外国人に有料の医療保険への加入を強制するという噂が流れていた。僕もそういう外国人に該当するので関心は持っていた。タイ人と結婚しているが、今のところ結婚ビザではない。いつ離婚してもいいように(笑)。

高齢者の医療保険加入はかなり高くつく。3年前、65歳の時に、入院給付の上限が100万バーツの医療保険に加入した。もちろんタイで加入した。最初は年間5万バーツ以下の保険料だった。ところが、1年間まったく給付を受けていないのに、年齢が一つ上がっただけで2年目は大幅に保険料が増えた。それで、バカバカしくなって継続しないことにした。そのままいくと、70歳で8~9万バーツくらいになりそうだった。

最近また医療保険の義務化が話題になっている。情報源はいつもTHE NATION(Thai Visa)のニュースだ。5月14日に「7月ごろに医療保険強制が実施される」というニュースが流れたので、かなり慌てた人がいるらしい。

14日のTHE NATIONのニュースは不明確なニュースで、情報を誤解した人がかなり多くいたようだ。つまり、いわゆる「リタイアメントビザ」でタイに暮らす外国人はみんな医療保険に加入しなければならないと勘違いしたようだ。実は僕も勘違いしたので、来年の滞在延長のときは結婚ビザに切り替えようか、それとも医療保険に再加入しようか迷った。

そうするうちに、5月15日にTHE NATIONはたくさんの人がニュースの内容を曲解していることに気づき、正確な情報を出し直した。これはいいことだ。

それによると、タイ政府が4月に閣議決定したと伝えられている「医療保険の義務化」の対象は「OAビザ」だけだということが明確になった。「今のところは」という但し書きが必要かどうかは分からない。

「OAビザ」と言うのは、われわれが「リタイアメント・ビザ」と呼んでいるものとは別物だ。「OAビザ」は外国にあるタイ大使館ないし領事館でしか取得できないロングステー・ビザのことだ。僕も7年前に、このOAビザを東京のタイ大使館で取得したことがある。80万バーツ相当以上の銀行預金だけでなく、英文の健康診断書や無犯罪証明書など、いろいろな書類が必要で、とてもめんどくさい。

現在タイに住んでいる多くの外国人が持っている、いわゆる「リタイアメント・ビザ」と呼んでいるものは、正式のビザの名称ではない。それは、「OAビザ」のような何らかの入国ビザで入国したあと、或いはノービザで入国したあと、滞在許可を延長してもらっているに過ぎないのだ。ビザの書き換えではない。この点を殆どの人が混同している。

要するに、今度正式に導入されるであろう「医療保険の義務化」は、一昨年に導入された「OXビザ」(いわゆる10年ビザ)に続いて、1年有効な「OAビザ」にも適用されるということだ。ただし医療保険は「OXビザ」が入院給付についてだけ言うと100万バーツ以上なのに対して、「OAビザ」では入院が40万バーツ以上の保障額でよい。

高額な医療保険の義務化によって、「貧乏な年金生活者がタイから一掃される」と喜んでいる同胞もいるようだが、残念ながらと言うべきか、たとえばノービザから1年の滞在許可をもらって、それを毎年更新しているような人には無関係だ。

それでも、医療保険のこととは関係なく、来年は結婚ビザに切り替えるかどうか、結構悩ましい。というのは、結婚ビザが将来的に1年以上の滞在期間が得られるように制度が変わるかもしれないという噂が出ているからだ(ちなみに日本の配偶者ビザは通常は3年有効)。それにタイで何かアルバイト的にでも仕事をしようとする場合は、結婚ビザが圧倒的に有利だ。

(5月16日、午後10時50分)


夫婦には共通の目標が必要だ

昨日、彼女と二人で新築中の家を見に行った。

自分たちの今住んでいるムーバーンにもたくさんの一戸建てが出来つつある。でもクオリティーはよくない。それに狭い。数か月前、彼女は我が家の斜め向かいに建築中の物件に興味を持った。でも、僕は「やめたほうがいいよ」とアドバイスした。

タイの家の品質は日本と比べ物にならないくらいバラツキがある。使っている材料が同じで、仮に作業する人が同じだったとしても、監督によって雲泥の差が出る。それが品質の決め手になる。出来上がった家をよく見るだけでも品質の違いは分かるが、建築中に見ると、もっとよく分かる。仕事ぶりを見れば、大体すべてが分かる。

さて、昨日見に行った家は現在の我が家から数百メートルしか離れていない。囲いのあるムーバーンではないが、地元の建築会社が建てている一戸建てがたくさんある。2年くらい前の家、昨年できた家。今年になって入居した家。そして昨日見に行ったのは完成間近の家だ。

現在の我が家とは比較にならないくらい、間取りも、仕上げの丁寧さもよかった。まったく違うと言った方がいい。しかも土地は少し広くて、200平米ある。平屋だが内部も2~3割広そうだった。にもかかわらず価格はあまり変わらない。これなら買ってもいいだろう、というレベルの家に仕上がっていた。

「これなら文句なくOKだよ。すぐ買いなさい」と僕は彼女に言った。「ただし、僕にはお金がないからね・・・」

つまり彼女が前に言っていたように、親戚の公務員にお願いしてローンを借りて買えばいい。いい物件に出会ったときは躊躇してはいけない。

僕が懸念していたのは、購入した家がその親戚の名義になってしまうことだった。ところがよく聞いてみると、その親戚はローンの保証人になってくれるのであって、あくまでもローンを組むのは彼女なのだそうだ。それなら問題ないではないか。善は急げだ。

目の前にいい家が出現したとなると、僕も急に新しい生活に目が向いてしまった。離婚なんていう思いは綺麗さっぱりと消し飛んでしまった。「この家で老後を過ごすなら、それで十分」という心境だ。

平屋なので、体が不自由になっても2階建てよりは暮らしやすいに違いない。台所が広いので、料理にも存分に腕をふるうことができる。彼女というよりも、僕の方だ。とくにキッチンカウンターの幅が広い点が最高にいい。

寝室は3つある。ひとつは僕の書斎にして、もうひとつはお客さんのために空けておいてもいいし、半分物置のような使い方をしてもよい。玄関を入ると決して広くはないが、すぐ客間があり、それとは別に、これも広くはないがリビング空間があるので、そこに大きめのテーブルを配置すれば、たくさん人が遊びに来ても十分間に合う。

さらにいい点を挙げると、床のレベルが少し高めになっているので、水の心配がない。駐車スペースが結構広く、余裕をもって屋根に覆われているので外で談笑したり食事することも可能だ。庭は、玄関の横のちょっとしたスペースだけ芝生が植わっているが、あとは周り全部にコンクリートが打ってある。その方が遥かに住みやすいだろう。つまり、よく考えて設計された家だ。

家を買うこと自体は夫婦の目標としては余りに一時的すぎる。しかし、その家でどんな暮らしを築いていくかは、子供のいるいないにかかわらず、とても重要なことだと思う。借家では、なかなか家を中心にした夫婦の生活を創り上げていくことが難しいような気がする。やはり、家は大切なものだ。

(5月17日、午前11時半)


政治の“劣化”が目に余る

今日は4月25日以来、久しぶりにゴルフをした。今週末にコンペが控えているので、少しウオーミングアップしておこうと思ったからだ。右膝の傷みもすっかり回復したので、あとはスイングとパットの調子如何。

でもこの暑さはタダモノではない。朝7時過ぎからプレー開始して、終わったのは11時前だけど、途中でリタイアしようかと思ったくらいだ。でも日本人の知人と、見知らぬタイ人2人の4人で、それなりに楽しく一緒に最後まで耐え抜いた。スコアはかろうじで100を切るくらいの酷い出来だったが、ドライバー、アイアンともに手応えのあるショットがいくつか出たので、まずまず満足した。

さて、またまた日本の政治に言及する。

解散風が吹いている。安倍さんお得意の「理由なし解散」をまたやるのかどうか。要するに国民生活に直結した政策の選択などないままに、党利党略のために解散するという訳の分からない政治に堕している。安倍さんというのは、その程度の政治家だという証明だ。なにか政策課題を国民に突きつけたことがあるかな?安保法制?その時解散した?してないだろ。やる勇気もないんだよ。憲法改正で解散してみろよ。

まあしかし、政治家と言うのは「常在戦場」と言われるくらいの戦争好きだから、ある意味では仕方ない部分もある。つまり、自分や自分の党のことを最優先して考えるのが政治家の性だからだ。しかし、戦後日本の政治を振り返ってみると、そんな器の小さな政治家ばかりではなかったような気がする。

最近、菅官房長官まで「内閣不信任決議案を出すなら解散するぞ」と脅しをかけ、ある共産党の幹部などは「受けて立つ」と言っているそうだが、もういい加減にしてくれ。

国民生活とは関係のない次元で解散して総選挙ってか?消費税だって、10%にするかどうかで争点になってないだろ?もう日本の政治は僕から見れば無茶苦茶で、無茶苦茶だということを当事者は全然思ってないし、国民までもが飼いならされて、おかしいと思わなくなってる。これはもう日本の末期症状と言うしかない。

まともな政治家が彗星のごとく現れてカツを入れてくれる可能性も今はないと思ってる人が多いから、なおさら悲劇だ。タイの政治よりはマシかもしれないと思ってはけない。僕から見れば五十歩百歩の類だ。

「変化を望まない」・・・これが今の日本国民の現状ではないだろうか。政治なんて自分には関係ないから、「すこしでもマシな人がやってくれたらいい」「安倍さんと言うのはマシなんじゃないの、自民党の中ですら代わりの人がいないってマスコミが言ってるよ」・・・そんな感じなんじゃないのかなあ。だから、安倍さんが居座ることができるわけだ。

ここまで飼いならされた日本人。ちょっとしたことで、自分に関係のない他人をバッシングして憂さを晴らしている日本人。こんなふうに日本の政治や日本人をネガティブにしか捉えられないのは、この暑さのせいだろうか・・・

(5月20日、午後9時)




楽しかったゴルフコンペ

昨日はタイに来て初めてコンペに参加した。直前まで、個人でスコアを競う普通のコンペだと認識していた。ところが「スクランブル・ゴルフ」というチーム対抗のコンペだった。

前日に気付いて、いろいろ勉強した。要するに、4人が1つのチームとしてプレーする。2打目からは、一番いいボールを打った人のボールのある場所から、4人が打つ。パットも同じこと。細かいルールがあるけれど、おおむねそういうゴルフだ。日本でも最近はやり出しているらしい。

コンペには16組、64人が参加した。見たところほとんどがファランで、あとは日本人が10数人、そしてタイ人と韓国人が少しいた。つまり圧倒的にファラン優勢のコンペだった。

僕の組は、知り合いの日本人2人と、お一人で参加してきた日本人の4人でチームを編成した。70台前半から80くらいで回れる実力のある人が2人いたので、優勝も狙えると期待が膨らんだ。そして実際、僕にとっては驚くようなスコアでプレーを終えた。6バーディー、2ボギーの4アンダー。始まる前はせいぜいパープレーかと思ったが、前半だけで4アンダーとなり、「これはいける!」となったわけだ。

優勝しないまでも、いいところに行くのではないかと思った。2つのボギーがなければ6アンダーだから、優勝争いに入るかもしれないと思った。シングルプレーヤーが4人そろっても、ゴルフ場の難易度にもよるが、簡単には60を切れないだろう。調べてみると、日本のある大会では4アンダーから8アンダーくらいの優勝スコアが多い。でも強豪が揃うコンペでは15~16アンダーの優勝というのもある。だから4アンダーの優勝はまずない。

試合終了後はコンペらしくパーティーと表彰式が行われた。目の前には山盛りとは言えないが、賞品が並んでいる。サービスのビールを飲んだり、食事をしたりしながら結果の発表を待った。

4つあるニアピン賞は、1か所だけ可能性があったが、1メートル余りの違いで受賞を逃した。そして肝心の優勝はファラン3人と韓国人1人のチームに栄冠が輝いた。

優勝スコアを聞いて驚いた。なんと12アンダー。つまり60ジャストのスコアで18ホールを回ったことになる。4人が壇上に上がってきて、金一封や各種賞品を受け取っている姿を見ると、当然プロには見えないし、4人のうち3人はかなりの御年配だ。いくら何でも12アンダーはないだろうというのが、正直な気持ちだった。負けたひがみかもしれない。金一封があることを知っていれば、もうすこし頑張ったかな・・・?

僕はそのクラブの一番の古手の1人だったので、一応はチームリーダーということになったが、僕の貢献度はほとんどなかった。敢えて言えば、3人が第2打で180ヤード先のグリーンを狙って、手前や左奥の池に入れたホールで、僕一人だけ直接狙わずに池の手前へ運んだ。だから池に入れた3人も、池の手前の地点からピンを狙って第3打を打つことができた。それもチームへの貢献のひとつ・・・。でも調子は4人の中で一番酷かったことは確かだ。

最終ホールで、わずか1メートル余りの上りのパットを4人全員が外し、結果ボギーとなったから、そもそも優勝には程遠かったのかもしれない。

(5月26日、午後5時)




プロフィール

Niyom

Author:Niyom
2012年、60歳でチェンマイへ移住。2017年にタイ人の妻を病気で亡くした後、愛人だった若いタイ人女性と再婚、前妻が可愛がっていた小さな犬2匹も一緒に暮らしていたが・・・

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