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吾輩はチビである(3)

4月26日(木)

その夜、お父さんが何処へ出掛けたのか僕には心当たりが全然なかった。前の家に住んでいたときでも、夜お父さんが一人で出て行くとすれば、近所のラーメン屋くらいしか考えられなかった。前のお母さんと一緒の時は、夜一人で出ること自体が只の一度もなかったし、昼間だとしても一人ならゴルフ以外の理由で外出することは皆目なかった。もっとも、ゴルフだと言って出掛けても、全然違うところで誰かと会うことがあったらしいけれど、僕は見てないから本当のところは分からない。

日が暮れてあたりが暗くなり、住宅街の照明灯が全部点いた。お母さんは昼間迎えに来た友達のバイクに乗って帰ってきた。飲み会だと言って家を出てから7時間も経っていたことになる。家の電気は全部消えていて、玄関のカギがかかっていることを知って、やっとお父さんが家にいないことが分かったらしい。どうやら夕方お父さんが送ったLINEをぜんぜん見ていなかったというのが真相のようだった。

僕とチワワのレックレックがお母さんにくっ付いて一緒に家の中に入ると、リビングの時計は7時半を少し回っていた。お母さんは少し酔っていた。すぐにケータイを取り出してお父さんから1時間半も前に送られていたメッセージを見つけて読んだ。僕はソファーにちょこんと座ってお母さんのケータイを覗き込んでいると、「今家に帰りましたよ」と書いた。暫くするとそのメッセージは「既読」になったけれども、お父さんから返事はなかった。

いつもなら、それくらいの時間はテレビで映画を見ていることが多いのだけれど、その日は酔ってるせいもあるし、居るはずのお父さんはいないので、いつもと違ってテレビも点けずにソワソワしていた。何回も何回もLINEでメッセージを書いたり、暫くするとLINEと電話の両方を使って、ダンマリを決め込んでいるに違いないお父さんと話そうとした。でも、何回かけても、お父さんは出なかった。お母さんは友達か誰かと通話して、今夜起きている事態を報告しているようだった。

きっとお父さんはLINEや電話の呼び出しを無視することによってお母さんに仕返しをしてるに違いないと僕は考えた。でもお母さんの方は、そういう風には思ってなくて、だんだん心配そうな、深刻な顔つきに変わっていった。お父さんが最後に書いた「バイバイ」という言葉が気になり始めたように見えた。

まさかお父さんが家出したとは僕には考えられなかった。だって僕やレックレックを放ったらかしたままいなくなることなんて、到底想像もできなかったからだ。お母さんも、そこまでは考えなかったと思うんだけど、10時を過ぎるとLINEと電話の二刀流の呼び出しをパタッと止めてしまった。最後に「心配ですよ。今日はもう帰ってこないんですね。」と書いたあと、玄関と台所のカギをかけてから階段以外の電気を消して、お母さんは2階へ上がってしまった。

お母さんは多分、酔いが回ってきて起きているのが辛くなったのかもしれない。僕と一緒にソファーに寝そべってお父さんの帰りを待つ方がよかったのに、なぜか2階でシャワーを浴びた後は下に降りてこなかった。きっとお父さんは、お母さんが心配して待っていると考えていただろうに、一人で寝てしまうというのはどうだっただろうか。

もし立場をクルリと逆にして、お父さんがお母さんの帰りを待っていたとすると、お父さんが先に寝てしまうことは絶対にあり得ないような気がする。前も、一度お母さんが友達と飲みに行って12時を過ぎる頃に帰ってきたことがあるが、お父さんは僕に文句を言いながらでも、リビングでテレビを見ながら待っていた。

僕はもう4年近くお父さんと一緒に暮らしているから、お父さんの性格をよく知っている。少なくともお母さんよりはよく知っているつもりだ。お父さんならきっと以下のように考えると思う。

もしお母さんが本当にお父さんのことを心配しているんだったら、一人で先に寝るなんてことはしないだろう。もしお母さんが本当にお父さんのことを愛しているなら、「今日は帰って来ないんですね」とは書かないだろう。きっと「早く帰ってきてください」と書くはずだ。日本語とタイ語の表現の仕方の微妙な違いはあるかもしれないけど、「今日は帰って来ないんですね」というのは、自分が先に寝るための言い訳のようにも取れないだろうか。もし「早く帰ってきてください」と書いたら、いつまでも寝ないで待ってるというふうに相手はとるだろうから、じゃあ帰るかなと思ってくれるかもしれないのだ。要するにお母さんは、お父さんが帰って来ても来なくても、どっちでもいいやと思っていたのかもしれない。

ちょっとお母さんを責めるような文言を並べてしまったけれども、何を隠そう、僕もレックレックも10時過ぎにはリビングで眠ってしまった。考えてみれば、お父さんは僕たちにご飯を作ってくれずに出て行ってしまったし、お母さんは犬のご飯のことはこれっぽっちも頭の中に存在しないようだった。実は僕もお父さんのことが気がかりで、お腹が空いていたことをすっかり忘れていたのだが、さすがに眠気には勝てなかった。

時間はよく覚えていないが、たぶん夜中というべき時間になってから、つまり12時近くになってから、玄関の錠前がまるで押し殺したような音をたてて、そーっと開けられた。その直前に、明らかにお父さんの車と分かるエンジン音を、しかし意図的に最大限アクセルを控えめにした低い音を漏らしながら、家の前に滑り込んでくるのを僕の耳がしっかりと捉えていた。レックレックも、耳の性能の良さに関しては僕といい勝負だったので、すぐに目を覚ましていた。

お父さんが家に入ってくると、眠いこともお腹が空いていたことも忘れて飛びついた。レックレックも僕の真似をした。これはいつものことだ。お父さんはそれに構わず台所に入って行って冷蔵庫をまるで泥棒が開けるように音を出さないように開け、コップに氷を入れた。ソーダ水は冷蔵庫の中に見当たらなかったので、冷えてない瓶を1本取りだし、ウイスキーと一緒にテーブルの上に置いた。

どうやらお父さんはアルコールを飲んでいなかったか、飲んでいても数時間前の食事の時にビールを1本飲んだだけのようだった。つまり、全然それらしい臭いがなくて帰ってきたのだ。ついでに、お母さん以外の女の人の臭いがしないかどうかを老婆心ながらチェックしてみたけれども、何ら怪しい臭いは検出できなかった。それにかなり汗臭いところを見ると、シャワーを浴びたような形跡もなかった。

お父さんはウイスキーのソーダ割を2杯立て続けに口に流し込むように飲んだ後、扇風機を点けてからソファーに寝転がった。そこはいつも僕が寝ている場所だったが、僕は遠慮というものを知っているからあえてお父さんの傍を避け、台所の比較的冷たいタイルの上に寝そべることにした。

ところがその日は無茶苦茶に暑い夜だったので、お父さんは我慢ができなかったと見えて、小一時間くらいしてから扇風機を消して2階へ上がって行った。でも、お母さんの寝ている部屋ではなく、これまでまだ誰も寝たことのない小さいほうの寝室に入ったようだった。僕の耳は、その小さいほうの部屋のエアコンのスイッチが入って仕事をし始めた音をしっかりとキャッチした。

お母さんとお父さんが別々に寝たのはその夜が初めてだった。これからのことを心配しても犬の僕には如何する術もないことぐらいは知っているので、何もしないことに決めて、お父さんがいなくなったソファーに戻ってぐっすりと眠ったのだった。


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Niyom

Author:Niyom
身を削って過ごした30余年のサラリーマン生活にピリオド。ここチェンマイに移り住んでからも、楽しいこと辛いこと、いろいろとありました。でも、それは全部過去のこと。人生、どこまでリセットできるものなのか、自ら実験台になって生きています。

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