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吾輩はチビである(4)

4月27日(金)

あの夜以来、お父さんとお母さんの関係は犬の僕にはとても理解できないくらい複雑になっているように見える。

深夜に帰宅したお父さんは、いつも寝ている寝室の反対側にある小さな部屋に入ってエアコンのスイッチを入れ、シャワーも浴びず服も脱がずにそのまま寝ようとしたらしい。ところがエアコンを使っても寝苦しさは解消されないばかりか、お母さんへの不信感がだんだん募ってきたらしく簡単には寝付けなかったようだ。なぜ眠れないことが僕に分かるのかと言うと、お父さんの鼾(いびき)は超一流で、たとえ2階と1階で離れていても僕の耳の鋭敏な鼓膜にかなりの振動を与えるはずなのに、エアコンの音以外は何もしなかったからだ。

お父さんの鼾は聞こえなかったけれども、そのうち2階の大きいほうの寝室のドアが静かに開く音がしたあと、小さいほうの寝室のドアをなお一層そろーりと開ける音が聞こえた。あっ、お母さんが起きてきたに違いないと思っていると、女の人の声が微かに聞こえてきて、そのすぐ後にお父さんの声が、こちらはハッキリと聞き取れるような、少し怒気を含んだような声で、「とにかく眠いんだから、放っておいてくれ」と言っているのが分かった。

僕はお父さんとお母さんの喧嘩が始まりはしないかと心配で聞き耳を立てた。でも、それっきり会話はなく、お母さんは大きいほうの寝室にすぐ戻っていき、それから暫くしてからお父さんの例の一流の鼾の音が1階に漏れてきた。

次の日の朝は、お母さんは食べるものをお父さんのためにいつものように用意していたけれども、二人の様子はいつもと全く違って、実によそよそしいものに感じられた。特にお父さんの方は、わざとお母さんの顔を見ないように、わざとなるべく言葉を交わさないようにしているように見えた。それもきっと何かの魂胆があってのことと僕には思われた。

それだけなら、昨夜が昨夜なだけに一種の冷戦状態が続いていてもそれほど不思議ではない。そのうち「犬も食わない」と世間で言われている夫婦独特の険悪な空気はやがて雲散霧消するはずだと決め込んでいた。ところが、お父さんの様子はどうも今までの不機嫌さとは根本的に違う何か根深い闇を抱えているように見えてきた。ときどきお父さんが独り言のように変な言葉を吐くので、そのたびにお母さんは訝しい表情になるのだった。

「俺は元々馬鹿だけど、昨日の夜からは馬鹿じゃなくて頭がおかしくなったんだよ・・・」

最初は変なタイ語を喋ってるな、くらいに思っていたけれども、同じようなことを繰り返し口にするのでだんだん心配になってきた。ひょっとして暑さのせいで本当にお父さんの頭がおかしくなってるのかもしれないという考えも浮かんだけれども、きっとそれは何かの魂胆があって演技しているに違いないと推量することにした。問題は、その魂胆だ。それが何なのか・・・犬の僕には余りに難解で、容易には正解を思いつくことが未だにできないでいる。

お母さんはお父さんの異変に戸惑っているのが僕にはよくわかった。そして、昨日の昼間のことだった・・・

急にお母さんがお父さんに「一緒にシャワーを浴びましょう」と言い出した。まったくの突然で、何の脈絡もなく言い出したので僕は驚いた。しかも、いつも使っている2階のシャワーではなく、1階にあるシャワーで、広さは2階のシャワーの2倍くらいあるけれども、お湯は出ない。この暑さならお湯は必要ないかもしれないけれど、どうして一緒にシャワーを浴びようと言い出したのか、僕には想像もつかなかった。というのも、この家に来てからというもの、これまでお父さんとお母さんが一緒にシャワーを浴びたことは一度もなかったからだ。

お母さんは一旦はシャワールームに入った後、慌てて玄関と台所のカギをかけに出てきた。その姿が今思い出しても滑稽なので瞼にしっかりと焼き付いている。とても言葉に出しては言えない。お父さんも、これまたほとんど何も身に着けない姿で急に2階に走って行ってバスタオルを取ってきた。そして暫くの間、二人で水浴びをしているようだった。僕は訳がわからないので「急に変な趣味を思い付いたのかな」くらいに考えていたけれども、ひょっとして二人とも暑さで頭が可笑しくなったのかもしれないと真剣に心配になってきた。

僕はシャワー室の前で待つのはいかにも聞き耳を立てているようで、あまりに失礼かもしれないと思ったので、リビングのソファーで昼寝しているふりをしていたら、ものの10分もしないうちに2人はバスタオルを腰には巻かずに片手でぶらぶらと下げたまま2階に急いで上がって行った。お母さんは、「たまには雰囲気を変えなきゃと思ったんだけど、ホテルじゃないから狭すぎるわね」とか何とか独り言のように呟きながら上がって行った。しかもいつもの寝室ではなく、お父さんが初めて寝た小さいほうの寝室へ2人で入っていき、そのあとすぐにエアコンの運転音がし始めたのだった。

冷房している機械の音以外にも、鋭さでは定評のある犬の僕の耳には、その部屋からお母さんの発する変な声、というより音と言った方がいいだろうか、それが聞こえて来ていた。その音を言葉に出して真似る勇気は僕にはさらさらない。いつも夜の10時前になるとお母さんがお父さんの待っている大きいほうの寝室に入ってシャワーを浴び、そのあと2人が何かをしているであろう音が聞こえてくるのだが、その日の昼間の音もそれとほとんど同じだったのが実に不思議である。

そんなことがあって、よくよく犬の頭で考えてみると、あれはお母さんが何かの魂胆があってしたことではないかということに気が付いた。魂胆でもなければ、何も真昼間から二人でシャワーを浴びましょうと誘う必要はないし、ましてや家中の戸にカギをかけてまでシャワーを浴びる理由が呑み込めない。

あの“シャワーの変”によってお父さんのご機嫌は少し良くなったように見えたのも事実である。人間の男というのは女と一緒にシャワーを浴びると憂いが吹き飛ぶのだろうか?というより、シャワーだけではどうもうまくいかなかったようで、慌てて2階の寝室に駆け込んで何かをしていたのは一体何だったんだろうか?

お互い動物と言えば動物なので、僕にはお母さんの魂胆が何となく理解できるような気がするのだけれども、お父さんがあの晩、いやに不機嫌になったのがどうしてだったのか、それがよく理解できないでいる。お母さんが夕方の6時になっても飲み会から帰って来なかったのは落ち度があるにせよ、だからと言って一人で家を出て行って夜中まで帰って来ないというのは、お父さんもまったく変である。こちらのほうはお互い動物とは言ってもまったく理解できないのだ。

もしお父さんがお母さんの帰りが遅いのでムシャクシャして、異常な暑さも手伝って、外で浮気でもしようかと言うなら、これは犬の僕としても少しは解せるのだが、一体全体どこで何をしていたのか、映画を見るでもなし酒を飲むでもなし、ましてや女と遊ぶでもなし、家の外で6時間も時間を潰したのがどんな魂胆によるものか、きちんと説明を聞いてみたいものである。


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プロフィール

Niyom

Author:Niyom
身を削って過ごした30余年のサラリーマン生活にピリオド。ここチェンマイに移り住んでからも、楽しいこと辛いこと、いろいろとありました。でも、それは全部過去のこと。人生、どこまでリセットできるものなのか、自ら実験台になって生きています。

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