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吾輩はチビである(11)

5月5日(土)

今週、お母さんとお父さんは一触即発の危機的な状況にあった。そうなる理由は二つしかない。ひとつはお母さんの飲酒。これについては1週間くらい前にややドラマティックに描いたので、常連の読者の方はよくご存じだと思う。もうひとつは、お父さん自身がこれまで何回も書いてきたように、お金にまつわる問題である。そして今回の危機は、お金である。

お金のことでは、二人はどうみても対等な関係にあるとは思われない。常にお金はお父さんからお母さんに流れていく。これは自然の摂理だ。水と同じで高いところから低いほうに流れる。お父さんもそのことはよく理解している。しかし、お母さんの要求に対して厳しく臨むか、それとも手加減を加えて甘くするか、それはお父さんの心持ち次第だ。


先月のソンクラーンの期間にお母さんは生まれ故郷のイサーンに帰った。まだ3週間にしかならない。ところが、今月またイサーンに行くと言い出した。そのためのお金が欲しいと言った。先月の里帰りのときは全然要求しなかった。毎月貰っている生活費の中からやりくりして里帰りしたようだ。お姉さんと2人分だ。今回もまたお姉さんと2人で行くらしいが、お金が足りないと言い出したのだ。お金をくれなければ、イサーンへ帰るのを止めるとまで言って駄々をこねた。

お父さんは変だと思ったらしい。5月分の生活費はとっくに渡してあるから、そこからやり繰りして、もしあとで足りなくなれば要求するのは理解できる。でも、5月分がまだ十分残っている筈なのに、お金が足りないとはどういうことだろう。それがお父さんの不審に思っている点である。

そしてもう一つ根源的な疑問がある。この前イサーンに帰ったばかりなのに、どうしてまた帰るのかという点である。先月帰ったときは、両親が田んぼの仕事で忙しく、ろくに話もできなかった。懸案になっている家の改築については何も決められなかった。だから今月また出直してきちんと話をしたいのだという。

お父さんは、今回イサーンに帰ることに関しては何も疑っていない。そうではなくて、先月ソンクラーンの時に本当にイサーンに行ったのかどうか、それを怪しいと思っているらしい。なぜなら、「イサーンに帰ったら、向こうのお父さんとお母さんとキミの3人の写真を撮って、僕に見せてくれ」と頼んでいたのだ。ところが写真はなかった。いくら田んぼの仕事が忙しいと言っても、3日も4日もいれば、一枚くらい一緒に写真を撮る時間はあるはずだ。それがない。つまりイサーンに帰ったという証拠が存在しない。

そこまで疑うのはお父さんも常軌を逸しているかもしれない。でも、何か割り切れないものを直観的に感じている風なのだ。そしてお父さんはその疑問をそのままお母さんにぶっつけた。それでお母さんの機嫌が悪くなったのだ。

僕はお母さんにとくに疑問を抱いてはいないけれど、お父さんが疑心暗鬼になるのも少しは理解できなくもない。何故頼まれた写真を撮ることができなかったのか、ちゃんと説明しないからだ。かわりに、いつ撮ったかわからないような、53歳の母親一人だけの写真をお父さんに見せたものだから、尚更お父さんは怪しんだ。

そういう理由でお父さんは今月の里帰りの費用を出すのを渋った。でも、僕がちょっとだけ犬語を使ってお父さんにアドバイスしたことから、事態は一気に解決に向かった。それは昨日のことだ。

僕は「幸せの法則」というのを教えてあげた。それはどこかの宗教とちょっと似ているけど、「信じる者は救われる」という人生の真理だ。人の言うことを盲目的に信じればそれでいいというのとは全然違う。相手の言うことに疑問があったとして、それを追及するとすれば、それは何のためかとよく考えてみるといい。それは自分が一番大切で自分の身を守るためなのか、それとも正義を振りかざして相手を矯正するためなのか、それとも、自分が完全に納得できないものは受け入れないという、単にそれだけの理由なのか・・・

お母さんは今度イサーンに帰ったら、少しは親戚の子どもたちにもお小遣いをあげたい。両親にも何か買ってあげたい。でもそのお金が足りない。だから助けてほしいと言っただけだ。幾らくらい欲しいとは言わなかった。それがそんなに許せないことなのだろうか。僕はお父さんの耳許で「相手はお父さんの奥さんなんだよ」と囁いてみた。そうしたら、すぐに悟ったようだった。

ないものは出せない。でも少しくらいあるのだったら、少しくらいあげればいい。お母さんは無理難題を言ってるわけじゃない。自分が欲しいものがあれば、少々高くても後先を考えずに衝動的に買ったりするのに、、どうして自分の奥さんのちょっとした要求には高いハードルを設けて吟味しようするのか。それは自分自身の心を疑心暗鬼で暗くし、同時に相手の心もやるせなくさせている。

冷静になって反省したお父さんは昨日、「一体いくら欲しいんだい?」と単刀直入に質問した。金額を尋ねられたということは、お母さんにとっては一歩前進だ。そうしたら、お母さんも聞かれて嬉しかったのか、「いっぱい、いっぱい」と、ついつい欲張り根性を口に出してしまった。そりゃあお金はたくさんあった方がいいに決まってる。でも、お母さんのどんなところをお父さんが気に入って一緒になったのか、その原点を忘れているようだ。

そのキーワードはタイ語の「レオテー(お好きなように)」だった。「いくら欲しい?」と聞かれたら、「レオテー」と答える。その控えめで相手を信頼する心根のつましさにお父さんは惚れたといっても過言ではないのだ。それをお母さんは、もう忘れてる。

お母さんが「レオテー」を忘れているものだから、お父さんは「何か忘れてないか?」と言った。お母さんは一瞬怪訝そうな顔をした。お父さんは「ほらほら、あれだよ、あれ。」とニコニコ笑顔でお母さんを見つめた。そしたらお母さんはハッと気が付いたのだった。「レオテー!」

お父さんは、やっぱり優しい人だった。いつまでもお互いが不機嫌でいるのが耐えられなくなったということもあると思うけど、お金をケチるよりも自分の好きな人の嬉しそうな顔を見る方が、よほど幸せだということに気づいたのだと思う。二人が仲直りして、僕もすごく嬉しかった。二人の間に険悪な空気が流れていると、犬の僕たちも幸せな気分になれないのだ。

機嫌が戻ったお母さんは昨夜大サービスに努めたらしいけど、さて今晩はどうだろうか・・・?


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プロフィール

Niyom

Author:Niyom
2012年、60歳でチェンマイへ移住。2017年にタイ人の妻を病気で亡くした後、愛人だった若いタイ人女性と再婚、前妻が可愛がっていた小さな犬2匹も一緒に暮らしている。

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