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真夏の情事(6)

10月12日(木)

7月末の月曜日のお昼時。僕とアラサーの彼女はイサーン料理店のテーブルを挟んで向き合っていた。こじんまりとしたその店は屋内と外の両方にテーブルがあって、僕たちは外の、しかも一番奥のテーブルに座ることが多かった。この日もそうだった。

いつもと違うのは二人の間に会話がほとんどなかったことだ。僕は別れを切り出すつもりでいた。彼女はいつものように料理が運ばれてくるまで携帯をいじくっていたが、何かを警戒して寡黙だった。この日はビールを注文しなかった。

彼女は当然気づいていた。なぜなら、店に着くなり僕があり得ないことを口にしたからだ。

「今日はホテルに行かないけど、いいね?」

別れの言葉のつもりではもちろんなかった。でもこれが、僕の精いっぱいの別れの言葉だったのかもしれない。

彼女は明らかに作り笑いをしながら車を降り、

「いいですよ。また今度ね。」

と答えた。彼女が生理中でもないのに、僕が行かないということはない。「また今度ね」と言う彼女を見て、いたたまれない気持ちになった。何かを一生懸命堪えているのが手に取るように分かったからだ。もちろん、ホテルに行かないからではなかった。

ほとんど無言で男と女が食事する。それは長年連れ添った夫婦の場合はあるかもしれない。けれども、恋人以上夫婦未満のカップルでは普通はあり得ない。沈黙に耐えきれなくなった僕は、彼女が予想もしていない言葉を口にした。自分でも、それは予定になかった。それは別れの言葉とは相当にかけ離れていた。

「この前、携帯の調子が悪いって言ってたよね。今日、新しいの買ってあげるよ。」

どうしてそうなったのか、僕もよくわからない。彼女も意表を突かれたようだった。一瞬表情が緩んだように見えた。でも、すぐに固い表情に戻って

「まだ使えるからいいです。」

と言った。

「そんなこと言わないで。買ってあげるって決めたんだから。」

僕は食事が終わるとサイアム・ティービーという、おそらくチェンマイで一番大きな電器店へ彼女を連れて行った。

彼女は本当は新しい携帯がほしかった。だからお店に着くと上機嫌になった。これが女というものだなと思った。彼女の喜ぶ姿を見て少し嬉しくなった。新しい携帯を触っている彼女のあどけない横顔がものすごく可愛く思えた。

電器店を出てすぐに彼女に聞いた。

「どうする?もう家に帰っていいかい?」

すると彼女は明るい声で、

「レオテー(お好きなように)」

と答えた。いつも通りの返事だったけれど、ふと助手席の彼女に目をやると、顔は笑っているのに涙が溢れていた。その透明な涙が頬を伝わってポトリと落ちるのも見えた。新しい携帯を手にしたハッピーな女ではなく、愛する男が自分から離れていくことを悟った悲しい女がそこにいた。

急に彼女を抱きたくなった。僕はいつものホテルに車を走らせた。そして、いつもと違って激しく彼女を抱いた。どうして貪るように彼女を抱くのか、自分ではその理由がよく分かっていた。そしておそらく彼女も、本能的にそれが意味することを察したに違いない。別れが迫っていることを・・・。

同じ週、彼女と会った次の日も、そのまた次の日も、僕は黒髪美人と会った。そして同じホテルで抱いた。自分の中にそんなエネルギーがあったとは考えてもみなかった。別れを告げようとしてアクシデントで抱いてしまったアラサーの彼女の肌のぬくもりを、一刻も早く忘れたいかのように・・・。

僕は黒髪美人のためにアパートを毎日のように探した。彼女の職場に近いMAYAショッピングセンターの周りで物件を探した。予算を少しオーバーするがコンドミニアムも見に行った。3日かけて下見した中で一番気に入ったのは、少し彼女の職場から離れるが、チェンマイ大学に近い閑静な住宅街にある瀟洒なコンドミニアムだった。

そこは5階建ての5階でリビングが広かった。ガラス張りの広い開口部をもつリビングから見える夜景を想像した。きっと素晴らしいに違いないと思った。ところが僕のイメージの中で、その夜景を一緒に眺めているのは黒髪美人ではなかった。僕の横にはアラサーの彼女がいたのだ。ここで彼女と一緒に暮らせたらなぁ・・・そんな思いが急に湧いてきて、その突拍子もない想念を振り払おうとする自分があった。

黒髪美人と毎日交わすLINEの会話は、これから住むアパートのことに集中していた。僕が探してくるコンドミニアムは彼女の基準からすると贅沢過ぎた。でも僕にしてみれば、彼女が住むと言うよりも、僕たち二人の愛の巣を探しているつもりだった。彼女はなるべく安いアパートにして、浮いたお金を実家に送りたかったに違いない。

僕と彼女の折り合いの付くアパートを見つけるのに、それほど時間はかからなかった。彼女は自分の職場から近くて、バイクなら5分もかからない便利なところに新しいアパートができているのを発見した。しかし彼女には朝から仕事がある。その日は僕が下見をしてくることになった。ドンデン返しが刻々と近づいていた。

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プロフィール

Niyom

Author:Niyom
2012年、60歳でチェンマイへ移住。2017年にタイ人の妻を病気で亡くした後、愛人だった若いタイ人女性と再婚、前妻が可愛がっていた小さな犬2匹も一緒に暮らしている。

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