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遅い“初夢”

1月9日(水)

結局昨日の雨は夕方まで降り続いた。今朝もどんよりと曇っていて、いまひとつ乾季らしいスカッとした空ではない。ゴルフ場がどんな状態になっているのか分からないが、彼女は昨日も今日も、キャディーの仕事はお休みだ。

さて今日は夢のある話だ。でもないか・・・

今朝がた、今年初めての夢を見た。これは非常に珍しいことで、最近は1年に数えるほどしか夢を見ない。今も記憶にある夢は、去年の7月にまで遡る。

前妻が亡くなって1年数か月が過ぎていた。あれだけ僕の人生に影響を与えた女性がいなくなったというのに、一度も夢に見たことがなかった。ある晩、突然出てきて、それっきりだ。

ちょうどその頃は、日本で豪雨による大水害が起きた直後だった。記録に残る「平成30年7月豪雨」だ。そのニュースが頭の中にあったのだろう。夢の舞台は、小学校か中学校の体育館のような広い場所だった。

体育館にはたくさんの人が避難していた。みんな所在なさそうに硬いフロアに寝そべっていた。そして僕も寝そべっていた。隣には、亡くなったはずの前妻がいた。ところが、広い体育館の中で彼女一人だけベッドの上に佇んでいた。彼女は言った。

「〇〇(僕の名前)、自分一人だけベッドの上で寝るのはイヤです。下ろしてください。ほかの人と同じ場所がいいです」

彼女が自分で下りたのか、僕が手助けしたのかは分からないが、とにかく彼女はフロアに下りて、みんなと同じところに寝そべった。そこで夢から醒めた。ごく短い、一瞬の夢だった。これほど鮮明に覚えている夢も、僕としては珍しい。

この夢は、彼女が乳癌を患っていたことと関係があるだろう。そしてもうひとつ。彼女が、自分のことよりも他人のことを思いやる優しい心の持ち主だったことと関係がある。そして徳のある彼女は、今は天国のいい場所にいると、僕が信じていることとも関係するだろう。ほかにもいろいろな解釈がありそうだが、後にも先にも、前妻の夢はこの1回きりだった。

学生時代にフロイトの「夢判断」という心理学の本を読んだことがある。夢は誰でも毎晩見ているが、起きたときに記憶から消えているだけなのだそうだ。枕元に筆記用具を置いて寝ると、必ず夢を見ることができるということを知って実践してみたら、本当に毎晩のように鮮明な夢を見た。夢から醒めてすぐにノートに内容を書きとる癖がついた。でも、自分の夢をしつこく分析するのは、ある意味で精神に悪影響もあるので1か月くらいでやめた。


さて昨夜の初夢。昔、まだ現役のときに、たまに見た夢と似通っていた。仕事に関係のある夢だった。具体的に書くと、以前の職業がバレるので抽象的に書いておくことにしよう(笑)。

舞台は職場の中だった。僕の仕事は、自分一人で調べ物をしたり、専門家などに電話したり会ったりして情報を仕入れて企画する。その企画が通ると何人かのチームを作り、自分がそのリーダーとなって具体的に作業を進めていく。1か月以内で終わる仕事もあれば、1年以上かける仕事もある。

仕事の一部については、最終段階で多くのスタッフが加わって作業を行うことがある。昨夜の夢は、その最終段階の作業当日のことだった。

リーダーである僕は“作業指示書のようなもの”を前日までに作成し、スタッフに渡して内容や手順を説明しなければならない。ところが説明をしないまま作業を始めようとして、「〇〇さん(僕のこと)、まだ打ち合わせが済んでませんよ」と言われて慌てて“作業指示書のようなもの”を手にとった。そしたら、何とそれは白紙だった・・・仕方ないから、何も書かれていない紙に目をやりながら、頭の中にある手順を、しどろもどろで説明し始めたところで夢から醒めた。

もちろん自分が現役のときにそんなヘマをやらかしたことはない。いつも徹夜してでも準備万端整えて最終段階に臨んでいた。でも僕が30歳のころだが、後輩の一人に、最終段階で“手順指示書のようなもの”を書けなかった男がいて、その日彼は出勤して来なかった。上司が心配して一人暮らしのアパートを訪ねても、彼は居留守を使った。結局、彼はその数年後の異動で現場から事務部門へ配置換えになった。適性がなかったと判断されたのだろう。

そんなこともあってか、常に期限のある仕事なのに「間に合ってない!」という恐るべき夢を見ることがあった。夢の中で「これは夢だ、夢なんだ!」と強く思うと、いつも夢から醒めて胸をなでおろすことが多かった。40歳のとき、現場を統率する管理職になってからでも、何度かその手の夢を見ることがあった。でも、まさかこの歳になって、初夢でそんなストレスのある悪夢を見るとは思いもよらなかった。

そんな夢を見た理由は、自分ではわかっている。「日本にいれば、この歳になってもまだまだ少しは仕事できるはずなのに・・・」と心の底では思っているからに違いない。あの激務に耐えられるとは本当は考えられないが、昔の仕事への愛着がまだ残っているのかもしれない。

変な夢を見たものだ。若い妻がいて、ゴルフと将棋とお勤めで(加えてブログで?)残りの人生の時間を潰す今の生活は・・・贅沢なのかどうなのか、自分でもわからない。前妻を見習って、身の回りでもいいから、何か人助けをしなくっちゃ。


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夢の遠因かと?

Niyomさん、こんばんわ。私が仕事の話をメールしたので、ちょっとは影響しているかもしれませんね。それにしても前の奥様は、Niyomさんに愛され幸せだったと思います。そこまで優しさを共有できる連れ合いは、なかなか探せるものではないでしょう。こちらは新年になって仕事に追われ、おちおちテレビも見ていられません。先ほど送稿を終えてようやく自分の時間になりました。私の見る夢は、決まってトイレを探しても探しても見つからない。どうしよう、どうしようと焦っているところで目が覚めます。ただ、数年に1回ほど、柔肌の女性とベッドをともにしている夢を見ることがあります。これは、日頃からの強烈な願望のなせるわざではないかと思っていますが、寝覚めはすこぶる良いのが、悲しいかな私の現実です。

Re: 夢の遠因かと?

アンさん、こんばんわ

> 私が仕事の話をメールしたので・・・

そうですね。きっと影響ありますね。それに「こちらでも仕事があれば、もっと充実してるだろう」と思うことがあります。

>私の見る夢は、決まってトイレを探しても探しても見つからない・・・

それは、生理現象のなせる業あのでしょうか?

>柔肌の女性とベッドをともにしている夢・・・

その種の夢は私も経験したことがあったかもしれませんが、忘れました。願望がないはずはないので、きっとあったのでしょう。心地よい夢で「このまま、このまま・・・」と思った瞬間に醒める夢があり、悪い夢で「いよいよダメか・・・」と観念した途端に解放される夢もあり・・・とにかく夢とは不思議なものですね。

No title

こんにちは。今回の滞在も、終盤に差し掛かりました。
当地でのはじめての年越し、タイ知人宅でのカウントダウンは、近所の子供達も集まって(カラオケ機があるので、リビングで歌とダンス大会)、大人数の宴会に。
山の向こうで打ち上がる花火やコムロイも、家の前で見物。
翌日は午後から新年会で、歌はともかく踊らされるのには参りました。
遠い記憶を辿ると、ウチでも親族が正月や盆に集まり、こういう場があったはずなのですが…。
団体行動が苦手でオタクだった私がいい歳になり、異国で大家族と居る事に面白さを感じるとは。不思議なものです。

夢の話じゃなくて申し訳ないですが、ちょっと面白かった光景。
妙齢のタイ女性姉妹が、それぞれの旦那と4人連れだってチェンマイ旅行に来てるのでしょうか。
片方の旦那は絶えずブツブツ喋ってる禿げ上がった(人の事は言えませんが)中年ファランですが、もう片方の旦那はいかにも堅物といった風貌の日本老人なのです。
飲み屋で横テーブルの私が同胞と分かったからか、老人は奥さんが何やら言っても全く喋りません。かたやファランは鼻歌も交えて喋りっぱなし…。
なんとも不思議な一夕でした。

Re: No title

MARINOさん、こんばんわ



> 当地でのはじめての年越し、大人数の宴会に

楽しまれたようで良かったですね。我が家はほとんど2人だけの年越しと新年でした。どちらかというと、そのほうが落ち着きます。宴会は苦手です。

> 妙齢のタイ女性姉妹が、それぞれの旦那と4人連れだって

それはなかなか珍しい光景ですね。

> 飲み屋で横テーブルの私が同胞と分かったからか、老人は奥さんが何やら言っても全く喋りません

下手なタイ語を聞かれたくなかったのでしょうか。大抵の日本人はタイ語が分かりませんから、恥ずかしがらずに喋ればいいと思いますけどネ。私も下手ですが平気です。でも、すごく上手な日本人の前ではタイ語の口数は減りますけど(笑)
プロフィール

Niyom

Author:Niyom
身を削って過ごした30余年のサラリーマン生活にピリオド。ここチェンマイに移り住んでからも、楽しいこと辛いこと、いろいろとありました。でも、それは全部過去のこと。人生、どこまでリセットできるものなのか、自ら実験台になって生きています。

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