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放置

昨夜遅くに空港までTを迎えに行った。夕方早めに家を出て、Tに誘われて会員になったフィットネスクラブでヨガを受講した。時間がたっぷりあったので、デパートの中をぶらぶらしたり、食事をしていると、TからLINEがきた。出発の3時間前に、もうバンコクのスワンナプーム空港に入っていた。

「ぎりぎりまでアパートで休んでいてくださいね。迎えは11時50分でいいですよ。荷物を取らないといけませんから、時間が少しかかると思います。」

1週間以上前に僕がカギを部屋の中に残してアパートを出たことをTは知らない。それに、自分の荷物を全て跡形もなく片付け、部屋をきれいに掃除してから出たことも知らない。

そのときは、まだ妻は離婚しようとは言っていなかった。とにかく僕は一度すべてをリセットしたかった。Tと付き合っていくか、それとも妻とやり直すか・・・僕は意を決してアパートから自分の身の回りのものとパソコンを引き払った。カギを持って出るかどうかは最後まで迷った。カギを置いてきたということは、Tが帰るまでに、こっそりまた身の回りのものを持ち込むことができない。昨夜、空港へ行くまでの時間つぶしに休むことも、もちろんできない。アパートに手出しできない状態に自ら追い込んだのだ。

「カギがない」・・・そう返事したときのTの反応は予想通りだった。「忘れてきたんですか?」と訊かれたときに、「うっかり中に置いたまま出てしまったので、もう入れないんだよ」と惚けることはできたかもしれない。しかし、荷物が一切ないことはどう説明する?Tにしてみれば、それは「もう貴女とは会いませんよ」というシグナル以外の何ものでもない。そして実際、そういう思いが潜在意識の中にあったからこそ、そうしたわけだ。

飛行機に乗る前のTと険悪なやりとりが交わされた。またしても、「嫌なら空港まで来なくていいです。自分でタクシーで帰ります」と予想通りの言葉が送られてきたのを、僕の方から跳ね返した。迎えに行くと決めた以上はあとには引けない。それが僕の性格だ。でも、Tとずっと付き合うかどうか・・・それは全然次元の違う問題だと僕は考えた。

でもTは違った。僕が迎えに行くことは、すなわち僕がTを愛していて、これから二人で未来を一緒に築いていこうというサインだと考えていた。だから荷物をカートに積んでゲートから出てきたTが、僕の車を見つけたときの喜びようは並大抵のものではなかった。明るい表情のTは僕も大好きだ。

しかしアパートに着いて部屋に入った瞬間、Tは凍り付いた。言葉には出さなかったものの、驚きと失望が広がっていくのが後ろに立っていた僕にも分からないはずはなかった。

それでもTは、必死に耐えようとしていた。僕の荷物が跡形もなく消えていることには一言も触れず、「先にシャワーを浴びてくださっていいですよ」と冷静に声をかけてきた。「いや、フィットネスクラブでシャワーしたから、もういいんだよ・・・」

僕がアパートに泊まっていくものとTが考えたのは不自然なことではない。しかし「明日、一緒にご飯を食べて話しようね」という、僕の一言が起爆剤となった。以前、僕を追い出したような乱暴な仕草は少しもなかったが、Tの目からは大粒の涙がこぼれた。そしてまたいつもの言葉を口にした。

「アナタは離婚したと言っても、彼女のことを想っているでしょう?ワタシのことなんかより、彼女のことを愛しているんでしょう?」

「あのね、役場での離婚手続きが済んだからと言って、すべてが終わるものじゃないんだよ。家の中のものをどう分けるかもあるし、これから日本側の手続きもある。まだ半分しか離婚したことになってない。まだ話し合いをしなければならないことがあるんだよ・・・」

「彼女だって苦しいんだよ。これから狭いアパートで一人で暮らすことになる彼女のことを心配するのは前の夫として当たり前だろ。それくらいのこと、貴女には理解できないの?いったん結婚したら、簡単に『ハイ、さようなら』で済むものではないんだよ・・・」

深夜にもかかわらずTに食って掛かっている自分があった。「前の夫として当たり前」と、理屈に合わないことを口走った自分が可笑しくなったが、嫉妬に狂っているとしか思えないTの言葉に珍しく一々反論した。でも、僕も言い過ぎた。言いながら、その瞬間は自分がTを愛していないことが分かった。Tの言う通りだということが分かってきてしまった。はからずも、「分かってきてしまった」という表現がぴったりの、自分の心の動きだった。

それでもTは僕にベッドで休んで行ってほしかった。だから、いよいよ部屋を出ようというとき、僕はTを抱きしめた。しかしTの反応にまったく力がなかった。愛を込めて抱きしめていないのに、愛を感じるほど女は鈍感ではなかった。

深夜2時近くに家に帰ると、ピッタリのタイミングでLINEが入って来た。

「今日はありがとう。アナタがワタシのためにしてくれたことは感謝しています。おやすみなさい」

僕は安心して眠りに就いた。しかし朝起きると、夜中の3時過ぎに夥しい数のLINEが来ていたことを知った。Tは眠れなかったのだ。Tがバンコクへ行ってから僕がカギを置いて出たこと。自分の荷物を跡形残らず片付けてしまったこと。そして昨夜アパートに泊まって行かなかったこと。さまざまな恨みつらみが英語で書かれていた。

そして12日間、留守にしている間の自分の心の不安が書いてあった。ご丁寧にも、僕が送ったLINEの文章まで引用しながら、喜んだり落胆したり、まるでジェットコースターのように激しく揺れ動いた気持ちが書いてあった。妻と離婚したあと、不思議なことに急に僕が寡黙になったこと。「僕にはあなたが必要」という言葉を読んだ時の幸福感。でも妻と離婚することによって、逆に僕のTへの愛情が失われてしまったに違いないとも書かれていた。

「心がころころと変わっていくのはいつもアナタの方です。ワタシはずっとアナタを愛してましたし、今もそうです」

これに反論することもできるが、Tにしてみれば事実だろう。昨夜と違って僕は丁寧に自分の心のうちを書いた。外国語だから、これで微妙なニュアンスが通じるだろうかと不安に駆られながら書いた。Tといい勝負の長い文章になった。自分がどこかTと似たところがあるなと思えてくると、少し苦笑せざるを得なかった。ただ、ひとつだけ書かなかったことがある。それは、Tが嫉妬心をあらわにするたびに、僕の心が揺れ動いてきたことだ。それさえなければ、きっと今頃はTと楽しい時間を過ごしていることだろう。

結局のところ、すべて放置して、Tの心が落ち着くまで会わないことにした。

(9月12日、午後1時30分)

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No title

若くて金があって、健康で女にもてて羨ましい限り。
二人も若い女に愛されて でも冷たく突き放せるんだから、
勿体ない・・・

Re: No title

tiiさん、おはようございます

> でも冷たく突き放せるんだから

確かに、愛されても突き放せるような男になってみたいですね。そんなスマートなことは出来そうにありません。

プロフィール

Niyom

Author:Niyom
2012年、60歳でチェンマイへ移住。2017年にタイ人の妻を病気で亡くした後、愛人だった若いタイ人女性と再婚、前妻が可愛がっていた小さな犬2匹も一緒に暮らしていたが・・・

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